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水無瀬兼成の将棋纂図部類抄、大将棋畧頌26句の謎(長さん)

今回は、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄で、泰将棋の初
期配列の覚え方を7文字づつ40句(合計280文字)
で水無瀬兼成が、漢詩風に書いた著作の第26句目が、

左右非対称駒配列について書いてあるのだが、単なる
配列であるかのように、雑に書いてある理由

についてを論題とする。
”金翅、行鳥、南蛮、狄。”と書いてあるが、これは、

配列順を示して居無い。

最初に正しい漢詩に直して、話を判りやすくしてみる。

①大龍金翅左右対。
②其中古鵄行鳥対。
③東夷西戎蛮狄対。

一句が三句に増えるが、40句が42句になって、相
変わらず合計は偶数だから、正確に書いても問題が無
かったはずである。
 そこで回答である理由を最初に書いて、次いで、
いつものように説明を加える。
②の”其中古鵄行鳥対。”が問題で、実は泰将棋では
なくて大大将棋の配列で、古鵄と左右対称駒が、毒蛇
にしてあるのを、

豊臣秀次に万が一にも、気が付せないための誤魔化し

だったと考えられる。すなわち元々、大大将棋では、

古鵄の左右対駒は、毒蛇でなくて猛鷲だった

と考えられる。
 では、以下に説明を加える。
 大大将棋には猛鷲が有り、その初期位置は、毒蛇の
位置、かつの成りが有り、斜めに歩める鉤行の動きの、
猟犬等であったろうという説を、本ブログで前に既に
述べている。
 天正遣欧少年使節が欧州へ行き、ヨーロッパの人間
が猛獣狩りという遊びをする事を、日本に伝えた後に、
大大将棋が成立した事を示しているのだろう。しかし
その事が、一般的に言ってバレルと、大大将棋が、
摩訶大大将棋より新しいどころか、将棋纂図部類抄
著作のための作成ゲームである事が、あからさまにな
るので、猟犬成り猛鷲を水無瀬兼成が、オリジナルの
大大将棋から、削除し、毒蛇に変えたのだろうという
推定だった。重要な点を最初に述べると、大大将棋は、
泰将棋製作を事実上、水無瀬兼成に依頼した殿様(水
無瀬のパトロン)である、豊臣秀次も、内容を知って
いたと考えられるという事である。根拠は、それを示
唆する内容が、将棋纂図部類抄の奥付に書いてあると
いう事実があるという点が挙げられる。つまり、

将棋纂図部類抄の大大将棋を、豊臣秀次が良く見たと
すると、自分が水無瀬兼成に紹介した大大将棋を、
水無瀬がほんの一部だが、黙って書き換えている

と言う事になる。豊臣秀次が、大大将棋の古鵄の右対
駒に興味が有るとは、私にはとても思えないのだが、
極めて低い確率でも、ばれれば、話が水無瀬兼成にとっ
て良い方向へは行かないと考えたのだろう。そのため、
殿様でパトロンである豊臣秀次が気がつかないように、

”②其中古鵄行鳥対。”という句を大将棋畧頌へ入れ
なかった

と私は考える。なお、そもそも古鵄と行鳥が対になっ
ているのは、行鳥と猛鷲を、泰将棋でも入れ替えたか
らだと、考えられる。つまり当初水無瀬は、泰将棋の
成りを、大大将棋に合わせようとして、途中でやめ、
中将棋に合わせる事にしたのであろう。だから、本来
の対駒である猛鷲を、古鵄の対の位置の、行鳥の所へ、
元々は1枚だけ入れて、古鵄を天狗に、猛鷲を猟犬に
成らせるつもりだったに違いない。
 そして現行の泰将棋の、猛鷲の位置には行鳥が左右
で2枚作るつもりだったのであろう。蛇足だが行鳥も、
元々は奔鬼に成らせる、はずだったのかもしれない。
 以上の事から、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄、泰将
棋を意味する”大将棋”畧頌の第26句で、”金翅、
行鳥、南蛮、狄。”と、配列順を書いているように、
ゴマ化しているのは、

”古鵄と対”という文字を、豊臣秀次には見せない為

であると、私は考える。水無瀬兼成は、当然かもしれ
ないが、時の権力者との関係で自分に、ほんの僅かで
も不利益が無いように、細心の注意を払って、事を進
めていたという証拠の一つと、これは言えるのではな
かろうかと私は思う。(2019/06/04)

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