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”集成鎌倉の墨書”の鶴岡八幡宮境内遺跡出土駒情報(長さん)

前に述べた通り、西暦2017年に神奈川県鎌倉市
の鎌倉考古学研究所が発行した、”集成鎌倉の墨書”
により、鎌倉市内の将棋出土駒の情報は、幾分増加
した。今回は、成り奔王鳳凰駒の出土で名高い、
鶴岡八幡宮境内遺跡出土(5駒)に関して、”集成
鎌倉の墨書”の発行によって、判った情報について
述べる。結論から書く。
 不成り香車駒の裏に墨跡が無いとは断定できず、

”白駒”と書いてある疑いが、否定できない。

 以上について、以下に説明する。この件について
は1/3という、かなりの現物からの縮小ではある
ものの、

香車駒の裏の写真が、載っている事から判明した。

これは私にとり、とてもありがたい情報であった。
 なお、問題のカタログを見るとき、以下の点に、
注意してほしい。
 後期大将棋を思わせる不成り歩兵と、本ブログが
推定し、”集成鎌倉の墨書”では133番と
ナンバリングされた歩兵駒の写真と、
 成りが今まで開示された例が乏しかった、同じく
”集成鎌倉の墨書”で135番とナンバリングされ
た、ここで問題にする、本ブログでは、やはり
”後期大将棋を思わせる香車駒”と指摘した写真が、
上下逆になっている。
 つまり、香車の写真は、”集成鎌倉の墨書”では、

誤って、歩兵のスケッチの右横に載っている

のである。
 そこで、歩兵の右の所の、香車の写真を見ると、
オモテに香の字が有るのは従来通りだが、2つ並ん
だ写真の右側の裏の写真を見ると、2文字目の”駒”
の”句”の部分が、薄く有るようでもあり、また、
一字目の”白”も、右にズレている感じもするが、
何かその字が、有るようにも見える。

集成墨書鶴岡香車.gif

 よって、この香車は、後期大将棋系の不成り香車
ではなくて、

典型中将棋駒の、成り白駒香車駒で有る可能性が、
否定できない

ように、私には思える。
 なお、鶴岡八幡宮境内出土駒については、残念
だが”集成鎌倉の墨書”には、駒のどちら面に、
墨跡が有るのか、または無いのか、墨跡構成が示さ
れていない。だから、写真を見て判断するしか、
判断材料は、さしあたり無いように私には思える。
 ただし鶴岡八幡宮出土駒は、鎌倉時代末期の地層
と見られる、第2面第1溝という所から出土したと
いう情報が、”集成鎌倉の墨書”には、明確に示さ
れていた。従って、遺物の成立年代が、

鎌倉時代末期であって、南北朝時代にかかる可能性
が、余り無い

ということになる。
 よって、我々には

成り白駒香車駒は、出現が早すぎる感じがはっきり
判る

ように、カタログには明示されていた。
今小路西鎌倉市福祉センター中将棋木札は、記録が
不鮮明なのか、出土地点の地層が明示されていない。
 ただし、幸運だったが、同類の木片同カタログ
224~5番が、水場として”第2面井戸5”地層
から出土していて、14世紀中葉と確定している。
木札が持ったのは、同じ井戸に浸っていたからだろ
う。やはり、異性庭訓往来著作直前の14世紀中葉
頃成立なのではなかろうか。そうしてみると、
鶴岡八幡宮の境内の将棋出土駒に関しては、他の四
枚に比べて、

 微妙だが、成り白駒香車の成り白駒が、”少し早
く作られ、すぎている”感じが私にはする。

香車の裏の状況については、もう一歩詳しい情報が
ほしい所だろう。
 相当前のことだが私は、栃木県栃木市星野町の
星野遺跡記念館で、斉藤常民氏から、”昔東北大学
の芹沢長介先生が、層順序による、遺物の年代推定
方法を確立した”と、教わった事があった。鎌倉市
の考古学研究所では、今もそれが、綿密かつ正確に、
遺跡遺物の年代の推定に、生かされているようだ。
そのおかげで、将棋史もその恩恵を、次第に受ける
ようになってきたと、私にも今回、この書籍を見て
しみじみと感じられるようになってきた。(2019/06/06)

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