SSブログ

(コラム)童話”ウサギとカメ”。鎌倉時代成立の謎(長さん)

集成鎌倉の墨書に今小路御成小学校遺跡

地番御成625番地区の遺物

として、鎌倉時代末とされる、比較的乾いた地層を
中心に出土した、墨書カワラケが4枚程度紹介され
ている。病人が全快を祈願して作成した呪い用とさ
れる、”人面墨書かわらけ”が、比較的有名で、
別の考古学成書でも見かける。だがその他、やはり
呪術用と聞く、格子模様カワラケ(これだけ東の、
少し離れた水場井戸)と、”×/×夜人”(?)と
書かれた字のカワラケが出ている。しかし、それら
よりも、むしろ奇怪なのは、

内面にカメ、外側にウサギの絵が書かれ、童話の
”ウサギとカメ”を連想させる、鎌倉時代末成立の
墨書カワラケが出ている事だ。

 なお、4枚のカワラケは、だいたい同じ時代の成
立で、本ブログでは、中将棋木札より、約30年早
いと見る。
 言うまでも無く、童話の”ウサギとカメ”の
日本への伝来は、戦国時代後期のはずである。
 発掘場所が、端とは言え御成小学校なため、捏造
という言葉も思い浮かぶが、

何のためにする捏造なのか、動機が特に思い当たら
ない。だから恐らくこれ自体は、本物なのであろう。

 なおカワラケは、酒を飲む道具なので、昔は、
このような図柄のカワラケを使って少年も、酒を飲
まされた事を示しているのか、その他の理由なのか、
何れにしても詳しい事情は、判るはずもなかろう。
カメがカワラケの内側なので、注いだ酒を池の水に
例えて、”カメは池に、ウサギは山の中に居る”と
宴会で称した、単なる鎌倉末期の大人の、おふざけ
程度のアイテムかもしれないが。
 近くから出土した別のカワラケや、事実上同じ敷
地内出土の中将棋ルール表示の、中将棋木札札とは、
この”ウサギとカメ”絵付きカワラケは、互いに題
材がバラバラで、私には繋がりが、特に感じられ無
い。恐らく出土地点は、

いろいろなゴミが元々、大量にごちゃ混ぜて捨てら
れている、”街のゴミ捨て場”ような場所

だったに、違いは無いのだろう。(2019/06/07の2)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

従来の鶴岡八幡宮汚れ歩兵駒の裏写真は香車のオモテ(長さん)

前に、集成鎌倉の墨書の鶴岡八幡宮境内出土駒の
写真が、ズレている他人事の話をした。今回は、

別のパターンの間違いなのだが、私も間違えてとん
でもない、勘違いを今までして来た

という旨を論じる。
 結論から言うと、

①汚れた歩兵(5)の”発川”に見えるスケッチの
元写真は、開示されて居無い。
②その対応写真だと従来理解されていた写真は、
不成りの香車駒(3)のオモテ面の写真に過ぎない。
③前に、白駒に見えると指摘した写真は、従来、天
童の将棋駒と全国遺跡出土駒で、
香車駒(3)のオモテ面の写真と称して、公開され
ているものと同じ写真である。天童の将棋駒と全国
遺跡出土駒にも写真は、従って載っており、集成
鎌倉の墨書で初出では無い。天童将棋資料館本では、
白駒は、はっきりしない。

では以上につき、以下に説明を加える。
 以下は、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の、写真
スケッチ紹介順序の図である。

勘違い天童.gif

 この図の素直な見方は当然、左から、五角形に見
える部分につき、
汚れた歩兵駒のオモテ写真、オモテスケッチ、
裏スケッチ、裏写真、不成り香車駒のオモテ写真、
オモテスケッチ、裏スケッチ(右端)と紹介されて
いるかに見える。

しかし、これは違う。

 本ブログでは、単純に今まで、汚れた歩兵駒の
オモテスケッチと裏スケッチが逆だと解釈してきた。
つまり、左から、汚れた歩兵駒のオモテ写真、
裏スケッチ、オモテスケッチ、裏写真、
不成り香車駒のオモテ写真、オモテスケッチ、
裏スケッチ(右端)と解釈してきたのである。
 しかし、よみがえる中世3武士の都鎌倉の、鶴岡
八幡宮境内出土駒のカラー写真と、天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒の写真を比べて、

汚れた歩兵駒(5)の裏写真と天童の将棋駒・・に
書いてある写真は、実は不成香車駒(3)のオモテ
の写真、

不成り香車駒のオモテの写真と示されたものは、不
成り香車駒の裏の写真であるのに、さいきんようや
く気がついた。そこで上の図に、正しい解釈と思わ
れるものを、書き込んでおいた。
 つまり、正しくは、
左から、汚れた歩兵駒のオモテ写真、裏スケッチ、
オモテスケッチ、不成り香車駒のオモテ写真、飛ん
で、不成り香車駒の裏の写真、同オモテスケッチ、
裏スケッチ(右端)となっていたのである。
 その結果、
汚れた歩兵駒(5)の成りはスケッチには有りかつ、
飛車ともされるものの、
(1)意味不明であり、金成りだとも、奔何がし駒
だとも判別できない。
(2)金成りないし、奔何がし駒の根拠だと、本ブ
ログで論じた部分は、

香の字の第4画目と第5画目の、続けると”へ”の
字を、本ブログが単に誤認したもの

と考えざるを得ないとの結論に到達した。
 なお、上記の写真の書き込みの解釈でよい事は、
集成鎌倉の墨書で確認できる。すなわち従来、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒で”汚れた歩兵駒(5)
の成りの写真”とされたものと、同じく同書で従来、
”不成り香車(3)のオモテの写真”とされたものが、
鎌倉考古学研究所の集成鎌倉の墨書で囲みで、
不成り香車駒のオモテの写真と、不成り香車駒の裏
の写真として、ペアで記載されて居る事からも、
裏付けられる。
 また、前に本ブログで述べた、
不成りとされた香車駒の裏面が、”集成鎌倉の墨書
で初出写真である”というのは誤りで、既に天童の
将棋駒と全国遺跡出土駒で”不成り香車駒のオモテ
写真”として、

誤ってだが、開示されている。

縮尺が違うせいのようだが、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の同じ不成り香車駒
の、正しくは裏の写真では、成書で見る限りは、

はっきりと白駒とは読めない。

本ブログで画像を小さく見せると、上記の図のように
白駒と、あいかわらず読めるので、ややこしいのだが・・・
 そして話が代わるが、汚れた歩兵駒の裏のようす
は謎としか言いようのない現状であり、問題が残っ
ている。
 が、何れにしても、
香車駒のオモテ面にある、引っかき傷を良く見て、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒で、汚れた歩兵駒

(5)の裏とされた写真が、不成り香車駒(3)
のオモテ面の写真だと、気がつかなかった私は
とんだマヌケだった

と、この件今回は、大いに反省させられたのだった。
(2019/06/07)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー