神奈川県鎌倉市二階堂荏柄遺跡木片の字は異字の水(長さん)
以前に、今回取り上げる神奈川県鎌倉市の鎌倉市教
育委員会の遺跡発掘担当者が、大倉幕府周辺遺跡と
呼んでいる、鎌倉市二階堂荏柄の将棋駒状の大き目
の木片を字を、本ブログでは”氷”(?)と読んだ
旨を述べた。が、
氷ではなくて、水と書いてあるようだ
という話を以下する。
どちらにしても、将棋駒では無い
というのが、本ブログの見解ではある。
この遺物は、前記の鎌倉市教育委員会の発掘担当
者が西暦2002年に掘り出したもので、大倉幕府
というのは、複数の成書で、源頼朝時代からの、
鎌倉幕府の場所の事とさる。問題の出土品は、西暦
1185年~1233年程度に成立したものと、さ
れるようである。長さが5センチ巾が2.7センチ
程度あるように目視され、将棋駒より有意に大きく
”にすい”状の墨跡が、表面にだけ有ると集成鎌倉
の墨書には、表現されている。書き字の内容だけか
ら言えば、今小路西御成小学校遺跡金将駒と共出土
の五角形木片が無地なので、一覧の中では2枚とも
疑われる。が、今小路のは大きさが、長さ3センチ、
巾2センチ程度な為、こちらは字が無くても将棋駒
だと判る。
そこで板の大きさからみて、氷のありかを知らせ
る等、別の用途の札なのではないかと、本ブログで
は、鎌倉市二階堂荏柄の”駒”(木製品No139)
だけ、”集成鎌倉の墨書”の中で将棋駒に分類され
る遺物としたものについて、疑がっている。
ところでさいきん㈱遊子館が、西暦2012年に
発行した、井上辰雄監修の”日本難字異体字大字典
-解読編-”で、問題の出土品の墨跡に似た物を探
していたところ、
漢字の”水”で、左側が”にすい”になる異字が載っ
ていた。
国語の漢字の得意な人だったら、常識だとして知っ
ていたのかもしれないが。私は知らなかったので、
この小学校1年生用の漢字の、異字の存在には正直
驚いた。
”にすい”状の部分のある別の漢字は、水より
ツクリの部分の割合が大きいので、墨跡に一番近い
のは、他の”にすい”の漢字を全部見なくても、
これだろうと、私にも察しが着いた。従って単純に、
この字の一部が書かれたとも、スケッチからは取れ
る、問題の鎌倉市の大倉幕府周辺遺跡の木製遺物は、
源頼朝の居所の近くの場所で、水場を表示する為の
札のようなもの
と見なしても、説明が出来そうだと、よって私には
結論された。
氷の保管庫は、建設がたいへんなので、そうした
特殊なものが有った訳ではなくて、単に水場に近い
所に有った木製遺物なので、腐らずに800年後に
出土しただけだったのかも、しれないようである。
そしてこれは、この時代の荷札等の形と少し違うが、
札の形の範囲内であり、たまたま将棋駒の形に近かっ
ただけだったのではないかと、この遺物については
今の所、私は見ている。
ちなみに私には、この”異字体の水”の書き順が、
良く判らない。この木札状遺物で、書く途中で止め
たとすれば、普通の漢字の水とは、書き順が違うよ
うにも見える。(2019/06/13)
育委員会の遺跡発掘担当者が、大倉幕府周辺遺跡と
呼んでいる、鎌倉市二階堂荏柄の将棋駒状の大き目
の木片を字を、本ブログでは”氷”(?)と読んだ
旨を述べた。が、
氷ではなくて、水と書いてあるようだ
という話を以下する。
どちらにしても、将棋駒では無い
というのが、本ブログの見解ではある。
この遺物は、前記の鎌倉市教育委員会の発掘担当
者が西暦2002年に掘り出したもので、大倉幕府
というのは、複数の成書で、源頼朝時代からの、
鎌倉幕府の場所の事とさる。問題の出土品は、西暦
1185年~1233年程度に成立したものと、さ
れるようである。長さが5センチ巾が2.7センチ
程度あるように目視され、将棋駒より有意に大きく
”にすい”状の墨跡が、表面にだけ有ると集成鎌倉
の墨書には、表現されている。書き字の内容だけか
ら言えば、今小路西御成小学校遺跡金将駒と共出土
の五角形木片が無地なので、一覧の中では2枚とも
疑われる。が、今小路のは大きさが、長さ3センチ、
巾2センチ程度な為、こちらは字が無くても将棋駒
だと判る。
そこで板の大きさからみて、氷のありかを知らせ
る等、別の用途の札なのではないかと、本ブログで
は、鎌倉市二階堂荏柄の”駒”(木製品No139)
だけ、”集成鎌倉の墨書”の中で将棋駒に分類され
る遺物としたものについて、疑がっている。
ところでさいきん㈱遊子館が、西暦2012年に
発行した、井上辰雄監修の”日本難字異体字大字典
-解読編-”で、問題の出土品の墨跡に似た物を探
していたところ、
漢字の”水”で、左側が”にすい”になる異字が載っ
ていた。
国語の漢字の得意な人だったら、常識だとして知っ
ていたのかもしれないが。私は知らなかったので、
この小学校1年生用の漢字の、異字の存在には正直
驚いた。
”にすい”状の部分のある別の漢字は、水より
ツクリの部分の割合が大きいので、墨跡に一番近い
のは、他の”にすい”の漢字を全部見なくても、
これだろうと、私にも察しが着いた。従って単純に、
この字の一部が書かれたとも、スケッチからは取れ
る、問題の鎌倉市の大倉幕府周辺遺跡の木製遺物は、
源頼朝の居所の近くの場所で、水場を表示する為の
札のようなもの
と見なしても、説明が出来そうだと、よって私には
結論された。
氷の保管庫は、建設がたいへんなので、そうした
特殊なものが有った訳ではなくて、単に水場に近い
所に有った木製遺物なので、腐らずに800年後に
出土しただけだったのかも、しれないようである。
そしてこれは、この時代の荷札等の形と少し違うが、
札の形の範囲内であり、たまたま将棋駒の形に近かっ
ただけだったのではないかと、この遺物については
今の所、私は見ている。
ちなみに私には、この”異字体の水”の書き順が、
良く判らない。この木札状遺物で、書く途中で止め
たとすれば、普通の漢字の水とは、書き順が違うよ
うにも見える。(2019/06/13)