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鎌倉市小町1984出土”絡ム・・口王馬馬仲”木札(長さん)

神奈川県鎌倉市より過去、大量の墨書史料が出土し、
将棋関係では、14枚を数える将棋駒と、中将棋の
ルール木札が有るとの旨、今まで本ブログでは紹介
した。
 今回は、誰でも持つ疑問だと思われるが、

何か他に無いのか

という点について、論じる。
 答えを先に書くと、ほとんど無いが、

強いて言えば普通唱導集に似た文句の細長い木札が
ある。

すなわち、
将棋の駒に出てくる文字が、1物品に3文字以上有
り、総文字数が10字未満の物としては、表題の
”(本当はてへんに弱の搦)絡・・・口王馬馬仲・・”
という木札が、かなり前に出土している。鎌倉駅の、
当時”国鉄による立替工事”のときの発掘によるも
ので、西暦1984年のものである。
 他でも、何処かで見たような気もするのだが、私
には集成鎌倉の墨書(2017)に載っているスケッ
チのみが、今の所しっかり確認できている。鎌倉市
鶴岡八幡宮境内遺跡出土の将棋駒群と同じ頃の、
鎌倉時代末成立と、集成鎌倉の墨書ではされている。
若宮大路周辺遺跡群(駅構内小町の当時の蔵屋敷跡
遺跡)とされ、鎌倉の墨書の整理番号で”木製品の
301番”となっている。
 なお、最後の字の”仲”は”猛”かもしれないし、
”人偏に車”かもしれないし、”佛”かもしれない
し、字ははっきりしない。以下の説明の都合上、
私が個人的に、”仲”と読んでみたものである。
 答えから書くと、非常に希望的に読むと、

普通唱導集大将棋の唄の戦略を述べた、将棋攻略本
の断片

とも取れる。レ点や一ニ点を付けると、こうだ。

絡(搦)メル(二)奔王馬馬ガ、仲人ヲ(一)。

以下、更に補足説明を加える。
 まず、馬が入っているし、最後の字も仲のような、
猛のような字なので、平安小将棋の持ち駒タイプの
将棋ゲームに、関連しない。残りは、普通唱導集時
代の大将棋しか、少なくとも私には考えられない。
集成鎌倉の遺跡には、王の上にも、不明の文字があ
るとされているので、この王は王将の王ではなくて、
奔王の王だと仮に考えてみる。
 すると、2枚の角行を相手右仲人にアテて、横行
を切り倒そうとしている所で、龍馬2枚と奔王にも
加勢ないし絡ませたと、(無理にだが)文を組み立
てる事も、この木製品については、理論上は出来る
のかもしれない。
 何れにしても、何が書いてあるのか、または棋譜
の一部なのかもしれないが、将棋と関連が、万が一
有るとすれば、

平安大将棋や後期大将棋に関連しており、龍馬の無
い平安小将棋には、概ね関連しないとみられる木札

である。
 ただし、将棋攻略本の一節では解釈が、苦しいと
見られる根拠がある。

絡(本当は”てへん弱”の搦)と口王の間が離れている

という点である。”その空白部分の『角行角行』が
消えて、見えなくなっている”と言われれば、もと
もこも無いが。
 ざっと見たが、集成・鎌倉の墨書で、将棋に関連
する疑いが、微かであっても感じられるのは、今の
所、以上の出土史料群だけである。
 今小路西鎌倉市福祉センター中将棋木札も、いっ
けんは和歌を、ひらがなを中心にして書いたように
見える札であった。だから、それと同類のフォーマッ
トの札はまだあり、私には全部が読み取れた訳では
ないのだが。少なくとも簡単に、将棋関連とわかる
遺物は、これら以外には鎌倉市内では今の所、余り
出土しては、居無いようである。(2019/06/14)

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