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(続)鶴岡八幡宮境内遺跡奔王成鳳凰駒の朱点写真(長さん)

以前に、表題の鶴岡八幡宮境内遺跡にて西暦1980年
頃に出土した成り楷書奔王鳳凰駒の、駒の動かし方ルー
ル朱点は、今となっては明確な写真に、お目にかかれな
い旨述べた。そこでその後、昔の文献を調べ、”天童の
将棋駒と全国遺跡出土駒”の写真よりも、ルール打点が、
明確に写っているものが無いかどうか、徹底して捜索し
た。結果、

西暦1981年8月発行の、日本将棋連盟の月刊誌、
将棋世界8月号の裏表紙に、問題の朱色打点が写った、
成り楷書奔王鳳凰駒の、カラー写真がある

のを、最近本ブログの管理人も、ようやく発見した。

結果を言えば、写りが良くないが、モノクロの前記
天童市将棋資料館本の写真の様子が、基本的に正しい

事が判った。
 よって、有名な打点入りスケッチについては、近世的
な将棋駒の姿に、事実を歪ませて表現されていたため、

研究に支障が出ているという意味で、以下に苦言に近い
言い回しで状況を報告する

事にする。
 では、説明を続ける。
 つまり天童の将棋駒と全国遺跡出土駒のモノクロ写真
が示唆しているように、基本的に鳳凰の動く方向に、2
個朱色を並べるような、安土桃山時代の

水無瀬兼成の将棋纂図部類抄式の、打点方式で朱色の点
は書かれて居無い。サイコロの2の目を、2升目先に飛
ぶ方向については書いている

としか、鎌倉時代末期のこの駒に関しては、私には見え
ない。
 よって有名なこの駒の、駒の動かし方ルールを示す打
点の入ったスケッチは、実際と表現思想が根本的に違う
ので、

書き直すか、今時のPCソフトで適宜修正した方が良い

のではないかと、私には思える。
 結論を最初に述べてしまうと以上だが、以下に更に詳
しく、状況を書く。
 まず、斜め上方向に、朱色点は一つしか無い。2つ、
点が並んでいるように、スケッチでは書いてあるが、ど
ういうわけか、私には判らないが、左斜め上については
全く違う。天童市将棋資料館が集めた写真を、信用した
方が良いと考える。
 しかし更に大切なのは、左下の朱色の点についてであ
る。つまり、左斜め下は、斜めに2点書いてあるように、
スケッチ図では見えるが、実際には、上下に2点である。

鳳凰朱点.gif

サイコロの向きとは違うが、

朱色点はほぼ円形なので、雙六のルールで、サイコロの
目で2が出たときのように、斜め左下に進めと指示する

ように私には見える。つまり左下へは鳳凰飛角不如飛龍
という

ルールをきちんと表現していた

のではないかと、疑われるという事である。
なお、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒のモノクロ写真で
もそうであるが、左横の点と下の朱点は、やはり丸であっ
て、スケッチの特に、下の点のように水滴型ではない。
これらのケースも、サイコロの1の目を、鎌倉末期には
表現していたように私には見える。左上の点が2つ無い
のと、上の点が無いのは、書き忘れかもしれないし、擦
れて消えたのかもしれない。
 何れにしても以上の結果から、確かに、ルールを示す
点が有ると言う点で、有名な朱色打点入りの鎌倉鶴岡八
幡宮の成り楷書奔王鳳凰駒スケッチ図は合ってはいるが、

丸を水滴型に無理にしてしまったのと、位置や数を、実
際に合わせて居無いので、雑な範疇に入るのではないか

と他の、集成、鎌倉の墨書の遺物のスケッチを見ても、
私には疑われる。
 そしてその結果、鳳凰の2升目先動きが、

鎌倉時代末時点で跳びだという情報が、落ちてしまった

疑いが有ると思う。
 何れにしても、天童将棋資料館の写真が、モノクロで
見づらい事、よみがえる中世3武士の都鎌倉のカラー写
真に、問題の点が、良く写って居無い事から、

将棋世界1981年8月号裏表紙の写真は貴重

だった。なおこの写真には、たぶんだが、不成り香車の
裏の写真も、同写真の右の方に、より鮮明に撮影されて
おり、香車が不成りなのを、決定付けてもいるようだ。
 将棋世界の記事には、故大山康晴永世名人等が、見学
に現地を訪れた様子が記載されていた。誠にありがたい
事だったと、私は関係緒氏に感謝している。(2019/06/19)

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