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2013年興福寺出土酔象駒の裏に薄く”金将”の文字(長さん)

西暦2013年に発掘された、西暦1098年記載木簡
と共出土の酔象は、発掘者の奈良県立橿原考古学研究所
によると、”裏に墨書が無い”はずだった。本ブログの
管理人は、この駒の裏の写真は、良いのが未公開と考え
ていたが、西暦2013年10月22時17分に、比較
的判りやすい写真を

毎日新聞が公開していた

事が、最近ようやく正確に判った。毎日新聞のwebペー
ジに、このような古い記事は見出せないが、2018年
4月前後から、余り更新されて居無い、
neggy_0313氏のブログ、”備忘録”

https://blogs.yahoo.co.jp/neggy_0313/

に”新聞上への発表”だと、書いてある写真があるのを、
2019年の7月頭に確認した。
 溝口和彦氏のブログ同様、ヤフーブログなので、該当
ページを容易に特定できないが、上記のurlの後に、

62602409.html

と足せば、neggy_0313氏の西暦2013年
10月25日の午前9時21分の記事が、出てくるよう
だ。
 そのページの中に、赤外線写真で、左に裏、右に表を
奈良県立橿原考古学研究所が撮影したとみられる、写真
が載っている。画像を拡大すると、なぜかneggy_
0313氏のブログの、奈良県立橿原考古学研究所が撮
影した、不成りと発表されたはずの、酔象の左側の写真
の裏面に、

極淡いが”金將”と書かれているようにも私には見える。

web表示画像の大きさから、たまたまこう見えるのか、
または、本当に淡いが金将と、書いてあるのかどうか、
何が起こっているのかは、今の所、私には良く判らない。
金将の将が、”也”でも”く”でも無くて、楷書ではっ
きりとしてしまうと、駒を並べる際の、使い勝手と言う
点で、他の興福寺出土駒では、避けているように見える
ので、その点が今度は謎なのだが。
 なお問題酔象の写真に、奈良県立橿原考古学研究所の、
”思想や感情が、表現されているかどうか”は謎だが、
著作権に関連して、著作物かどうかの判断そのものが、
赤外線写真と称する、処理過程の不明なものでは面倒く
さいので、本ブログへは転載しない予定である。
 お手数ですが、neggy_0313氏の”防備録”
ブログの該当ページで、必要でしたら皆さんで、適宜御
確認願いたい。
 以上の結果から、本ブログの、

大学講師の三浦氏への2013年酔象解説に関する批判
は、間違いなく正しいとまでは、私には言え無くなった。

三浦氏には、舌足らずな批判をしてしまったと、お詫び
したい。なおやや小さい写真で、三浦氏のブログの該当
ページにも、酔象駒の裏は載っている。毎日新聞の方が、
写真の質が少し良く、それで確認してから、三浦氏のペー
ジの写真も、そのつもりで良く見ると、同様に裏が、
金将にも見える事が判る。
 なお問題の酔象駒については、裏が見えない状態で、
水に浸かって一般公開されている近年の写真が、web
上には、赤外線写真とは別に、現時点でも見出せる。
 今後は、この赤外線写真群とは又別の、問題の酔象駒
の裏面に関する情報が、出てくる等の結果として、
neggy_0313氏の”備忘録”の赤外線写真だけ、
たまたまそう見えたと言った、結論になる等に落ち着く
までは、

この西暦1098年の興福寺酔象駒に関しては、
不成り又は、成り楷書二文字金将(?)酔象駒

等と、必要に応じて本ブログでは表現するようにしたい
と思う。
 私にとって、この件からは、信用できそうな研究所の
発表であっても、こと将棋の史料に関する事実認識に関
しては、簡単には追従しない。及びまた、自分で元史料
の様子を、はっきり確認していない状態で、他人の解釈
論に対する批判をするときには、事実認識に関して、

”私は実際にそうだと、確認はしていないが、その酔象
は、『不成り』と発表されているはずではないか”等の、
断り書きを入れて論じるべき

との、苦い教訓を残した論題であった。(2019/07/07)

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