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ウズベキスタンの象・駱駝?の造形物はチャトランガか(長さん)

ここでは、表題の外国の遺物について、2人制チャ
トランガとしては、デザインが変だと論じる。
 先行研究は著名で、増川宏一氏、木村義徳氏等、
多くの将棋史研究者が、プロトチェスの駒かどうか
に関して言及している。増川氏は一時期そう論じた
が、”将棋の起源”以外で言及は余り見出せない。
 正確な遺跡名は、加藤九祚氏とB.トルグノフ氏
(2016)によれば、”ウズベキスタン共和国の
ダルヴェルジン・テバ遺跡のDT-5出土の将棋駒”
と言うとの事である。
 象の姿の金製の駒と、駱駝(?)と見られる同じ
く金製の駒は、少なくとも有るようだが、この2個
以外に有るのかどうか、本ブログの管理人には、現
時点でよく判らない。古代インダス地方を支配した、
イラン人系の国家、クシャン王朝時代の、富豪の住
居跡から、2世紀に成立したとみられる、遺物とし
て出土したとされる。
 将棋の駒であるとすれば、最古であり、
西暦600年ではなくて、

当然2世紀が、チャトランガ系ゲームの初出になる

と言うので、国内でも議論が有ったと木村義徳氏の
複数の著作物で紹介されている。

 今回は、10升目40枚制の2人制チャトランガ
の駒では無い

という、本ブログの見解を述べる。
 根拠を先に書くと、

象も駱駝も屈んでいて、守り駒風だから

である。
 では、以下に説明を続ける。
 駒を見ると、象駒も駱駝駒も、しりもちをついた
形に彫られている。従って、

走っている様子ではない。

しかしながら、二人制チャトランガで、仮にペルシ
ャの7世紀の10升目制の、象と駱駝駒の有るチャ
トランガやシャトランジ系のゲームのルールを考え
てみると、

象は強い駒のはずだし駱駝は象の代わりだったはず

である。つまり、飛車や角行格付けの駒だったと、
本ブログの管理人は認識する。当然、それ用の駒で
あるのならば、走り駒の造形の感覚で、像が彫られ
ているのが自然なのではないか。
つまり、この2つの駒らしき遺物は二つとも、駒だ
とすれば、日本の将棋駒で言えば、

臥龍の”臥”が修飾詞に付いた、象と駱駝であり、
臥龍が小駒である事に象徴されるように、走り駒の
イメージの造形物として対応していない

という事である。
 実際は両者ともに屈んでいて、

むしろ守り駒(神)といった雰囲気がする。

よって、少なくともこの”将棋駒”の像の姿から
察するに、インドやペルシャの二人制原始チェスの
駒にしては、

絶対とまではいかないものの、おかしな点がある

ように、私には思える。別の何らかの遊戯用か、
そもそも部屋の守り神群として使う、部屋の豪華な
飾りの一部とも、疑われるように見える。
 よって、本ブログとしては、この2世紀のウズベ
キスタン出土の”最古の将棋駒”と称されている遺
物は、

西暦600年前後のインドチャトランガに接続する
とは、考えにくい物品

との見方を、今の所取りたい。
 そもそも将棋史・チェス史の遺物は、極端に少な
くまた、遺物の中で扱いが傍系的である。だから本
品も、遺物が存在するという以上に、手がかりが有
る可能性は、かなり少ないように、個人的に予想す
る。

2世紀成立の駒状の像が、屈んだ姿に彫られている
から怪しいと、最古遺物説を否定したら、自動的に
チャトランガの成立は、マウリアのカナウジで、
その次ぎに古い史料に基づく西暦600年頃。

以上のように、論理が展開されるだけだというのが、
チェス等の歴史研究の現状と、ほぼ完全に見て良い
のではないか。本ブログの管理人は、初出時期の論
争に関して、それだけの事ではないかという意味で、
”論争が収まらない性質”とのイメージの論自体を、
依然疑っている。(2019/07/08)

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