徳島市川西の奔横駒。本が奔の根拠は多くない(長さん)
本ブログにとり、表題の徳島県徳島市上八万町川西
の奔横駒は、平安大将棋初期配列型を4段に段上げ
して、
配列を変えずに駒種を増やした、ほぼ唯一の根拠
として重要である。つまり、平安大将棋が後期大将
棋へ、ほぼ連続的な変化で到達するとする、本ブロ
グの論の証拠の、多くはない例の一つである。
ところで、この遺物は、新聞発表等では、
奔横ではなく本横と発表されている。
駒名をどう読むかに関しては、将棋駒の作駒師とし
て著名な、熊澤良尊氏による”本横は奔横である”
との指摘が、有名と本ブログでは認識し、本ブログ
でも、この説を現在は取っている。実はこの駒に関
しては、奔にも横にも異論が有るのだが、今回は、
”奔”の方だけを問題にする。
本ブログで本を奔と見るのは、本の下の部分が、
①十ではなくて三十(卅)だと見ている
という、実は一点だけである。が、駒の字を見ると、
②本は本ではなくて、上下に”大+十”と繋げた物
である事が判る。私だけだったかもしれないが、②
も証拠になると、自分で気がついたときから、そう
思っていた。が、さいきん異体字大字典から、
②は証拠にならない事が判った。
以上は結論だが、以下にもう少し続ける。
㈱遊学社(2012)の”日本難字異体字大字典”
の文字編”本”の項目に、
本の俗字として、上下に”大+十”と繋げた物が載っ
ている。
だから、”大+十”と繋げたというだけでは、本と
書かなかったとの証拠には、ならないという意味で
ある。
つまり②は”本が奔だ”との証拠に、ほぼならず、
①の大の下が”十”ではなくて三十(卅)だという
事だけが、奔である根拠であると、考えられる。
実は発掘した徳島県が、この駒の第1字目を奔と
読まなかったとみられる理由は、
三十(卅)の字の三本の縦棒のうち太いのは真ん中
だけ
だったからだと、明らかに推定できる。
両側の縦棒は、後で細く、付け足しただけ
のように、明らかに写真から見て取れるからである。
恐らく、この駒を書いた駒師は、本横と最初は
書くつもりだったはずで、本が奔なのに、後で気が
ついて、十を卅にしたものと見られる。本当は、
二十(廾)を入れなければならないはずだが、ひょ
とすると、10+20=30で、これで良いと、勝
手に決め付けたのかもしれない。
駒師は、平安大将棋の奔の規則よりも、”元祖の
横行”と”ただの横行”と2種類有るとの日本語と
しての、判りやすさを優先させたのか、何を考えた
のかは、少なくとも私には判らない。”奔走する横
行”が、日本語として、よく判らない意味になるの
は、もともと確かなのかもしれない。
何れにしても、このケースは②の”大+十”とい
う書き方が、本では無いという根拠に、ほぼならな
い点が重要だ。一字目が奔との説は、①下が卅であ
るという、筋細の根拠しかないようだ。web上で
は、熊澤良尊氏の意見等が、正しいのかどうかと言
う点についての議論は、多くは見当たらないのだが。
”大+十は、本の俗字”という事実を知らなかっ
たのは将棋史愛好家で私だけだったのかもしれない。
なお奔(本)横駒には、2字目のツクリが、本当に
”黄”と書いてあるのかどうかという議論もある。
本ブログではツクリは黄と見るが、これも崩れてし
まうと、本ブログにとり、相当な痛手だ。
徳島県徳島市上八万町川西の大将棋系のこの出土
駒が、正確には何と書いてあるのか。この点は、本
ブログの議論にとって、跳びぬけて大切な点だが、
不確定性も有ると認識できる。(2019/07/17)
の奔横駒は、平安大将棋初期配列型を4段に段上げ
して、
配列を変えずに駒種を増やした、ほぼ唯一の根拠
として重要である。つまり、平安大将棋が後期大将
棋へ、ほぼ連続的な変化で到達するとする、本ブロ
グの論の証拠の、多くはない例の一つである。
ところで、この遺物は、新聞発表等では、
奔横ではなく本横と発表されている。
駒名をどう読むかに関しては、将棋駒の作駒師とし
て著名な、熊澤良尊氏による”本横は奔横である”
との指摘が、有名と本ブログでは認識し、本ブログ
でも、この説を現在は取っている。実はこの駒に関
しては、奔にも横にも異論が有るのだが、今回は、
”奔”の方だけを問題にする。
本ブログで本を奔と見るのは、本の下の部分が、
①十ではなくて三十(卅)だと見ている
という、実は一点だけである。が、駒の字を見ると、
②本は本ではなくて、上下に”大+十”と繋げた物
である事が判る。私だけだったかもしれないが、②
も証拠になると、自分で気がついたときから、そう
思っていた。が、さいきん異体字大字典から、
②は証拠にならない事が判った。
以上は結論だが、以下にもう少し続ける。
㈱遊学社(2012)の”日本難字異体字大字典”
の文字編”本”の項目に、
本の俗字として、上下に”大+十”と繋げた物が載っ
ている。
だから、”大+十”と繋げたというだけでは、本と
書かなかったとの証拠には、ならないという意味で
ある。
つまり②は”本が奔だ”との証拠に、ほぼならず、
①の大の下が”十”ではなくて三十(卅)だという
事だけが、奔である根拠であると、考えられる。
実は発掘した徳島県が、この駒の第1字目を奔と
読まなかったとみられる理由は、
三十(卅)の字の三本の縦棒のうち太いのは真ん中
だけ
だったからだと、明らかに推定できる。
両側の縦棒は、後で細く、付け足しただけ
のように、明らかに写真から見て取れるからである。
恐らく、この駒を書いた駒師は、本横と最初は
書くつもりだったはずで、本が奔なのに、後で気が
ついて、十を卅にしたものと見られる。本当は、
二十(廾)を入れなければならないはずだが、ひょ
とすると、10+20=30で、これで良いと、勝
手に決め付けたのかもしれない。
駒師は、平安大将棋の奔の規則よりも、”元祖の
横行”と”ただの横行”と2種類有るとの日本語と
しての、判りやすさを優先させたのか、何を考えた
のかは、少なくとも私には判らない。”奔走する横
行”が、日本語として、よく判らない意味になるの
は、もともと確かなのかもしれない。
何れにしても、このケースは②の”大+十”とい
う書き方が、本では無いという根拠に、ほぼならな
い点が重要だ。一字目が奔との説は、①下が卅であ
るという、筋細の根拠しかないようだ。web上で
は、熊澤良尊氏の意見等が、正しいのかどうかと言
う点についての議論は、多くは見当たらないのだが。
”大+十は、本の俗字”という事実を知らなかっ
たのは将棋史愛好家で私だけだったのかもしれない。
なお奔(本)横駒には、2字目のツクリが、本当に
”黄”と書いてあるのかどうかという議論もある。
本ブログではツクリは黄と見るが、これも崩れてし
まうと、本ブログにとり、相当な痛手だ。
徳島県徳島市上八万町川西の大将棋系のこの出土
駒が、正確には何と書いてあるのか。この点は、本
ブログの議論にとって、跳びぬけて大切な点だが、
不確定性も有ると認識できる。(2019/07/17)