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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡木札の近の斤は古字か(長さん)

以前述べたが”志いぬ。もしひゃう。まうこは近くへ
行く。上わゆけぬ。”との旨が書かれていると、
本ブログでは見る神奈川県、鎌倉市の
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札の、
”近くへ行く”の近の字に”しんにょう”が、墨跡と
して見当たらない。近を斤と略して書いたように見え、
最近まで、謎として残されていた。しかるに先だって、

㈱遊学社の井上辰雄編、日本難字異体字大事典
(2012)で近の異字、俗字等を確認した

ところ、

”止かんむりに、斤”と書く、近の古字が載っている

のを、本ブログの管理人は確認した。なお、近の古字
は、しんにょうの点が2つだから、正しくは”古古字”
と言うべきかもしれない。
 今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札は、
後半部の下側の板も、上部が南北朝時代に少し削られ
ていて、

たまたま、止めかんむり(正式名称不明)が脱落した

としても説明できそうだ。では以下に、現物の図で
説明する。
 以下のように、

斤は、下の板の上部スレスレに書いてある

という点が大切だ。

近の謎続.gif

 もともと”止めるかんむりに斤”で、古字の”近”
だったとしたら、止が無いとおかしい。しかし、この
ケースは、上の写真のように

止は、削り取られていて無いとも考えられる

のである。つまり、本ブログのように、
2枚の木札は、接合部分が合うように、一枚目の木札
の下部分の、”ぬ”の半分と”やう”が書いてあった
部分と、二枚目の木札の上部分の、近の古字の
”止かんむり”の書いてあった部分が、南北時代の、
一例、今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターの店員
によって、結合できるように、削り取られた。その後
に、南北朝時代時点では、上下に接合された。しかし、

接着剤が、いいかげんなものであったために、西暦
1989年頃までには、バラバラになって、2枚で
出土した

と考えるという訳である。
 従来、本ブログでは、南北朝時代の1枚化への
”加工”は、上の部分の第1枚目の盲虎はと書かれた
部分までの木片の、下部だけと見ていた。しかし、
今回述べたように、斤の墨跡を解釈すると、止が無い
とおかしいので、下の部分の”近くへ行く”木片の、
上部も、接合部分を南北朝時代に合わせるために、
僅かではあるが、削られた事になろう。ただし、

 斤が古字の一部というのは、情報が部分的であり
曖昧で、確定的ではない。

だから、下側の第2枚目が削られたというのも、今の
所は一つの仮説と言うべきではあろう。(2019/07/23)

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