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滋賀県長浜市塩津港遺跡から2018年に王将駒が出土(長さん)

2019年8月1日前後の、読売新聞に多分、表題
の滋賀県長浜市塩津の塩津港遺跡で、昨年に新出土
した王将駒の記事と、写真が載っている。

奈良県を除いて近畿では、古代末~中世の玉将駒は
出土しないという法則が、更に強固なものになった。

滋賀県文化財保護協会や新聞の見出しを補足等する
と、以上の結論となり、更に以下のような状況のよ
うである。
 問題の王将駒は、外見が鳥羽離宮135次の王将
のような縦横比率だが、典型王将ではなくて、王真
ん中の横棒が、僅かに下に下がった、本ブログ流に
言うと、”玉将と書きたかったが、大江匡房から禁
止されたので、王ではなくて玉なのをこれ見よがし
にはっきり表現した、『屈折した心の生んだ王将型』”
である。ただし、出土駒の書体は、オリジナルの
”反体制側”の駒師のものではなくて、単に先達の
マネをしたという感じで、丁寧に書けている。

つまり、この王という字に点を付けると、興福寺出
土1058年物玉将のような形の、王将駒になる類

の一枚と表現されると、私は思う。
 これは、これまでの滋賀県産の王将で名高い、
滋賀里遺跡の、裏が下がり中央棒の王の駒や、
観音寺城下町遺跡の王将等、

これまでの滋賀県産の典型王将駒に、更に続く史料

となったと、私には認識された。
 なお、外見が鳥羽離宮135次の王将のような、
縦横比率なため、鎌倉時代のものと、私はいっけん
思った。が、滋賀県文化財保護協会が発表したPDF
ファイルによると、平安時代末期の遺跡での出土の
ようである。よってこれは、大阪府四条畷市の、
上清滝遺跡の王将駒と並ぶ、平安時代末の最古級の
王将駒なのかもしれない。
 ただし、この遺物の成立年代の詳しい情報につい
ては、今の時点で、本ブログの管理人には判らない。
なお発掘は、2018年の5月~11月の間のどこ
かで、滋賀県長浜市塩津港遺跡内でなされたようだ。
 何れにしても、近畿で中世までの玉将は、
南都北嶺のような所以外では、出土しないという、

今の所の経験側

は、特に滋賀県に関しては、まだ破るような例が、
全く無い”揺ぎ無い経験則”に、次第になりつつあ
るもののように、私には印象付けられる。(2019/08/08)

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