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朝鮮広将棋は指されたゲームなのか(長さん)

だいぶん前の事であるが、朝鮮広将棋のweb上
の情報を、本ブログで紹介した事があった。
webには、駒の動かし方ルールの説明が無く、
本ブログ上で、適当に判らない駒のルールを補っ
たものであった。

攻撃力過多であり、優秀なゲームとは言えない

と結論したと記憶する。その後昨年、2018年
の7月に、将棋ゲームとその歴史の研究家で知ら
れる岡野伸氏が、自費出版書で、チャンギ情報集
(二)を出版しているのを、最近知った。
 そこに、このゲームの、駒の動かし方や初期配
列に関する研究結果が載っていた。”広象戯志”
を、内外国の遊戯史研究者および、岡野氏自身が、
解読した結果のようである。
 それによるとチャンギに有る駒は、想像通り、
チャンギそのものだったが、無い駒についても、
概ね解読が進んでいると言う事である。すなわち、
兵駒の”騎”は、石将動き。
”前”は、ほぼ嗔猪だが、行人のように、邪魔駒
としてしか使えない。(次の後と動きは同じである。)
”後”はほぼ嗔猪。ただし、九宮では線に沿って
動く。
”伏”は大大将棋の近王そのもので、通常でも斜
めにも歩む。つまり、線に関係なく8方歩み。た
だし、伏しか取れない。
”奇”は、隣接升目へも行け、跳べる猛牛。
”游”は、中国シャンチーの象の動きである。
 今回は、前に紹介した、初期配列等で、岡野氏
の指摘に従い、”前”と”後”を交換した上で、

この動きとして、ゲーム性は良好であるのか、

日本の普通唱導集の大将棋のように、従って昔

指された可能性があるのかどうか

を論題とする。
 答えを先に書く。

依然攻撃力過多だと考える。

また、このゲームはそもそも、日本の

江戸時代にやっと、成立したとみられ、盛んに指
された可能性は、ほぼ無い

とみられる。
 では、説明を続ける。
 このルールで、本ブログで紹介した初期配列で
は、北宋将棋のような、歩側端筋の砲により、相
手騎の2枚の、横歩取りが初期配列で可能である。

だから、良い出来とは言えない。

また、7十一位置の先手の砲を、▲5十一砲左~
▲5八砲△4ニ車▲7八歩~▲8八砲△7五後
▲1八砲で、相手の後駒を取ると同時に、相手
陣奥へ、砲が切り込む手筋が自明に見える。だから、

跳び超え駒で、急戦にならないように、砲の有る
象棋は、初期配列を旨く調整しなければならない

という、ゲーム性を良くする基本に則って居無い。
 たとえば駒名を、ルールを間違えないように、
する目的で適当に変えて、エクセルで出来るように、
交点置きから、升目置きに変えると、以下の初期
配列になる。なお、九宮の中でだけ、チャンギでは、
多くの駒の、動かし方が変わる事に注意が要る。

朝鮮広将棋初.gif

そして、砲と車を中央に集めるように指すと、以
下のように、比較的簡単に終わってしまう、場合
があるようだ。

朝鮮広将棋終.gif

従って、このゲームには、北宋将棋時代の、

古シャンチーにも存在するタイプの難点が有る

と私は考える。
 また、以前に本ブログに述べた時点で、朝鮮広
将棋は、日本の南北朝時代のものかとも、個人的
に考えたのであるが、岡野伸氏の前記、自費出版
書籍(2018年)により、

18世紀に成立したと、考えるようになった。

 広将棋と言っても、19路の囲碁盤を使って
おらず、15筋14段なので、元々このゲームは、

日本の後期大将棋が、李氏朝鮮へ伝わった結果、
南有容によって真似て作成され、雷淵集27巻に
載っただけの可能性が高い

と、少なくとも本ブログでは疑う。
朝鮮チャンギと中国シャンチーには、9升目の
日本の標準タイプの平安小将棋のように、旦代の
難点というゲーム性の難は特に無く、駒数多数
将棋の前身である

”第2標準ゲーム”が作られなければならない、
動機付けを、基本的に欠いている

と考えられる。よって、砲の動きをシャンチーか
らチャンギに変えるときに、やや緩慢にしたとし
ても、チャンギにゲームとしての難が発生したと
は考えられない。だから、その改良のために、
朝鮮広将棋を作らなければならない、動機付けは
無いと思う。更に文献初出が、日本の江戸時代で
あるから、日本の将棋書の将棋図式等が李氏朝鮮
に渡って、日本の後期大将棋のようなものを、真
似て作ってみたいという、興味本位な動機で、
南有容が、問題の駒数多数チャンギを作成した疑
いが、このケースにはかなり可能性が高いと、私
は思う。
 南有容が、朝鮮チャンギの類似、第2段品を作
成するに当たり、砲駒でトン死が多発し易い中で
の調整である為、そもそも、そのようなゲームを
作る事自体が相当に難しいという、覚悟を決めた
上で、問題の

広将棋で、砲の数、配列、兵の構成を巧みに工夫
しているようなフシが、今の所余り感じられない。

 ちなみに、岡野氏紹介の(朝鮮)広象戯志の文
と、本ブログ等の初期配列は、まだ、ヅレている
所がありそうだ。しかし、それを直したところで、
車や砲が、15×14路の盤で大きく動くので、

駒の連関性の弱い、シャンチー・チャンギ系の陣
は、これらの駒の攻撃に対して、元来脆すぎる

ように、私には思える。従って、
1)この駒数多数ゲームが、日本の中世に当たる
時代に、朝鮮半島で、ある程度指されたものとは、
考えにくい。
2)日本の近世にあたる18世紀に、思いつきで
作られた、”火鬼が走り過ぎの天竺大将棋”と、
同程度の低いゲーム性のゲームに、有る程度調整
したとしても、留まる恐れのあるものである。
 以上のように今の所、私は予想しているので
あるが、どうだろうか。(2019/08/25)

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