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鎌倉時代平安小将棋→朝鮮チャンギの転換が無い訳(長さん)

本ブログでは、日本の鎌倉時代の草創期頃、中国
シャンチーが中国の金王朝、南宋王朝で指され、
他方標準平安小将棋(駒落ち、取捨て)及び、
日本の原始平安小将棋(取捨て)、二中暦大将棋
の以上3種類が、日本で指されている状況であっ
たと見る。そして以上の状況で、牛僧儒の玄怪録
岑順(小人の戦争)に書かれた”天那国”が、
任那国を連想させたために、

日本で平安小将棋から、中国シャンチーへの転換
が阻害され、シャンチーは日本で定着し無かった

と以前から主張している。皇族への中国シャンチー
駒等の伝来は、それよりもずっと早い、西暦
1130年少し前の疑いも、鳥羽天皇時代の”将棋駒
を12個使用した占いの記録”より有るものの、日本
人の多くへの、中国シャンチーの伝送のタイミングは、

少なくとも西暦1200年の、少し前頃であった
はずだ

とみる。
 しかしながら、以前に述べたように、その頃、
朝鮮半島に、朝鮮チャンギが成立しつつあったと
考えられる。そして高麗国は、中国の王朝では無
いから、朝鮮チャンギから、牛僧儒の玄怪録岑順
(小人の戦争)に書かれた、中国人の小説の
天那国は、任那が朝鮮半島の国だったとしても、
ただちには関連付けは、しづらいと予想される。
つまり、

大陸伝来のゲームが全て、”唐の同盟国と任那と
の戦いを模したもの”であるとは、結論しにくい。

にも係わらず、ゲーム性で大差が無かった、中国
シャンチー同様、朝鮮チャンギも、日本に於いて
西暦1200年前後に、

原始平安小将棋等を、それに置き換える事が、実
際には、出来て居無いのは何故なのか。

本ブログの論には、この点で、つじつまの合わな
いという事は、本当に無いのかどうかを、今回は
論題とする。
 回答から書く。
西暦1200年当時、

朝鮮チャンギを指していた棋士は、”金、南宋、
高麗3国で指される、標準将棋を指している”と、
日本人に対して主張した。

つまり、朝鮮チャンギは、高麗国だけのローカル
ゲームであると、日本人のゲーマーに対して、主
張は、していなかった。そのため、当時の朝鮮チャ
ンギも中国シャンチー同様、日本人には、

唐軍と任那の戦いを、模したものと認識された。

では以下に、議論を続ける。
 以前に述べたように、朝鮮半島の朝鮮族に中国
シャンチーが伝来して、砲がチャンギの包に置き
換わる等した時点で、

朝鮮族は、極東で指されている共通将棋のルール
の欠陥を、自分達の手で、改善していると意識し
ていた

と見られる。つまり、行く行くは金、高麗、南宋
の全域で、中国シャンチーの砲、卒ルールは、
朝鮮チャンギの包、兵ルールに、置き換えるべき
ものだと、当然考えていたはずである。
 そのため、その時点で朝鮮チャンギを指してい
たゲーマーには、それが中国シャンチーとは異な
るゲームであるとの、はっきりとした意識は、存
在しなかったとみられる。
 その状態で、そうしたプロト朝鮮チャンギとで
も言うべきゲームが、日本に伝来したとしたら、
日本人には、それが、中国シャンチーそのものか、
または、知識が有って、中国シャンチーの砲は、
相手駒を取らないときには、飛車動きで有る事を
知っている者には、”シャンチーに変種が幾つか
有る”と認識された、だけのはずである。

つまり、朝鮮チャンギの日本への伝津者は、西暦
1200年前後の時点で、朝鮮チャンギの、中国
シャンチーからの存在の独立性に関して、事実上、
その主張をして居なかった

と考えられる。
 以上のように考えると、朝鮮チャンギが、中国
の怪奇小説での、表現ミスから、日本へ進出でき
ないという問題が、中国シャンチー同様回避でき
ない理由を、このケースには、はっきりと説明で
きるとみられる。
 恐らく、高麗王朝のゲーマーが、朝鮮チャンギ
のゲームとしての独立性を主張し出したのは、

日本では平安小将棋(持ち駒タイプ・成り敵陣移
動ごと型)が成立した、西暦1350年頃の事

であろう。その時点で、日本の平安小将棋系の
ゲームは、かなりゲーム性が改善されていたので、
朝鮮チャンギが、平安小将棋(持ち駒使用型等)
に置き換わる事は、もはや困難だったとみられる。
 更に、朝鮮チャンギの玉駒が、漢と楚なのは、
以前本ブログで主張したように、李氏朝鮮国内で、
余り需要の無い、木製高級チャンギ駒を日本に輸
出するプロジェクトを、日本の近世に、李氏朝鮮
で立ち上げたときに、唐代の怪奇小説に出てくる
天那国の件が、朝鮮チャンギの、日本での普及の、
阻害要因になっていた事が、言い伝えとして、
李氏朝鮮の盤・駒制作業者の間で、その時代には
まだ、残存していた疑いが有るという点を、挙げ
る事ができる。
 すなわち別の戦いへ、ゲームのモデルを置き換
える必要が、明らかに朝鮮チャンギについても有っ
た為の、ネーミングの変更であろう。そのように
考えれば、

中国シャンチーと朝鮮チャンギが、まぜこぜ扱い
であった時代が、実際に存在した事を示している

とも取れるという意味である。
 以上の事から冒頭に述べたように、逆に
朝鮮チャンギが当初、中国シャンチーの改善と、
意識されて出発していたと仮定すれば、本当は、
朝鮮チャンギが、鎌倉時代の草創期に存在しても、
中国シャンチーの、当時の日本でのネガイメージ
に妨害される事に変わりは無かった。そこで朝鮮
チャンギもまた、中国シャンチー同様、日本には
上陸制覇できなかったと、結論できよう。以上の
ように、両国の駒数の少ない将棋の、成立のタイ
ミングを調整すると、両国それぞれのゲーム発展
の流れが両者とも、一応説明可能だという事にな
る、と見られるのである。(2019/08/28)

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