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2人制チャトランガに接した日本人は其を指すか(長さん)

本ブログでは、ほぼ西暦700年~1015年の間
に、イスラムシャトランジ系の中国大食人イスラム
シャトランジ及び、東南アジアのイスラムシャトラ
ンジ系ゲーム、それより前の時代の、インド古代
チャトランガ系(車ではなくて象が飛車ゲーム)が
伝来したとしても、中国人識者からの情報、および
日本人自身の試行によって、

”終盤、飛車で王を追いかけ千日手模様のゲームに
なる”のに気がついて、指すのを止めたので、流行
ら無いで終わった

との見方を、従来より取っている。
 他方インドに於いて、西暦600年~1000年
までは、インド古2人制チャトランガ。特に、西暦
900年頃までは、象が飛車型、西暦900年から、
西暦1000年までは、象が角行型との見方を取る。
更に四人制ゲームに関するアル・ビールーニの観察
の頃、西暦1000年前後を境に、インドでも、そ
れ以降インド・シャトランジや、象を銀将動きにし
た、”今に残るインドチャトランガ”に、転換した
と見ている。
 他方インド古二人制チャトランガは、
ペグー→バガン→ピュー→雲南までで、その伝来の
波が消失したと本ブログでは見る。ペグーでは、
西暦775年前後に、インド古2人制チャトランガ
から、兵3段目配列型イスラムシャトランジに転換
し、のちにシットゥインになったとみられる。この
ミャンマー起点の変性が、本場インドの2人制古チャ
トランガと後の大理国原始平安小将棋との差である。
 何れにしても古のインドでは、アル・ビールーニ
が、丹念に調査した結果だったのか、かなり後まで、
インド古2人制チャトランガのままで、伝統的に、
少なくとも一部の地方で、指されていたようである。
 以上のように、西暦1015年1月頃に、たまた
ま特定の北宋商人、一例では周文裔の手で、
雲南から、大理国の将棋が伝来するまで、日本人と、
2人制古チャトランガ系ゲームとの接触は、事実上
無かったと、本ブログでは見る。そのため本場の
インド、2人制古チャトランガのゲーム性能につい
て、本ブログではこれまで、余り論じて来なかった。
このゲームは、その終期の西暦900年~1000
年頃に、象駒が、飛車から角行の動きになったと、
増川宏一氏の、ものと人間の文化史110チェスの、
四人制チャトランガ1の、四人制チャトランガのルー
ルの言い伝えを見る限り私には推定される。象が一
部筋違いになるという記載が、含まれるからである。
 蛇足だが念のために付け加えると、この変化は日
本に伝来する事になる大理国将棋にも、南詔国将棋
(イコール宝応将棋のはず)にも、連動して起こっ
ていると”推定”される。
 そこで、二人制古チャトランガ(末期型)と、
イスラムシャトランジや西暦600年~900年ま
での、唐王朝時代のインド二人制古シャトランガと
では、象の飛車が角行なので、ゲーム性能は異なる
と考えられる。今回はよって、この象駒が、角行型
の末期型インド2人制古チャトランガ(900~
1000)の、ゲーム性能について、議論する。
 結論を最初に書く。

角行2枚が、王を追いかける千日手模様の終盤に
なるため、このゲームも性能は低いと見られる。

では、以下に説明を続ける。
下の図は問題の、10世紀の4人制チャトランガを、
2人制に戻した形の末期型(900?-1000)
インド2人制古チャトランガの初期配列を、駒の
名前だけ、動かし方ルールが紛れないように、日本
の将棋駒の名前等に、変えたものである。なお、
飛龍は、2升目まで走りでかつ、跳び越えられない
とする。このゲームでは、ポーンは、最奥で、相手
の初期配列の駒に、インド方式で成り、玉将の位置
と桂馬の位置で、不成りの、”行き止まり駒”とな
るものとする。

二人制古チャトランガ.gif

 上記の図のゲームを実際にしてみると、しばし
ば下の図の、黒い駒の後手のように、攻め駒として
角行が残り、他は高々、行き止まりポーンと玉将が
残るケースが多発する。

二人制古チャトランガ指掛.gif

上記終盤局面で、相手・先手の緑色の玉将を、後手
の黒色の角行2枚が追いかけるが、追い回すだけで、
イスラムシャトランジの飛車といっしょで、ゲーム
は容易には終わらない。いわゆる、終盤の千日手
模様となる。
 従って、本場のインド2人制古チャトランガが、
西暦700年~西暦900年の間だけでなくて、

西暦900年~西暦1015年の間に漂着したして
も、日本人の間で流行る事は、やはり無かった

疑いが、かなり強いとみられる。
 結論としては、大理国の将棋のように、兵等を
3段目で、熊眼型駒である金将に成らせ、角行駒が
2枚から1ないし0枚に変わらないと、更には
恐らく日本人が、”自殺手負けに対する、裸王の
優先”という、細則を発明する事によって、

ゲームは正常に終わるという点では、少なくとも
まともなゲームに、ならなかった

とみられるのである。故にインド2人制古チャト
ランガという、インド本場のオリジナルゲームが、
我国で定着する可能性は、象の飛車動きが、後半
角行動きに切り替わった時代にも、無かったという
ことに、なると推定できるように、思われるので
ある。(2019/09/02)

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