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北宋時代不真面目中国人が平安小将棋をしない訳(長さん)

本ブログによれば、アッバース朝系のイスラム
文化が最盛期に、中国では先進文化を取り入れ
るべきとの機運が高く、真面目で勤勉なタイプ
の中国人は、イスラム型の文化を、選択的に
取り入れたと考えている。そのため、形式的に
インド古形と、イスラム型のゲームが並存して
いた場合、そうした、真面目な中国人は、後者
を選択した結果、中国シャンチーが残って、
雲南大理国の将棋は、広まらなかったと考えて
いる。
 しかしながら、世の中には色々な人間が居る
のであり、ゲームが面白ければ、そちらを取る
という程度の、態度の良くない中国人も、北宋
時代、中にはいたはずである。
 本ブログによれば当時のイスラムシャトラン
ジに比べて、原始平安小将棋は、ゲームが収斂
する分、ややましな位であった。他方、中国人
にも当時、囲碁は充分に浸透し、ゲーム性に対
する目は、北宋期にも厳しかったはずである。
 従って、国家の大計など、どうでもよいと考
える、不真面目で、”ゲームは面白ければ良い”
という当時の、ほんの一握りの一部の中国人が、
何ゆえ小石なり、竹の破片を使うなどして、
雲南の将棋を、指さなかったのか。その訳を、
今回は論題とする。
 回答を書く。

金将2つと玉将とで、相手の駒を詰むのが、
熊眼動きの駒2つと玉将で、それをするのより
も手数が多く、難が完全に消えていなかった為

と考えられる。
 では、論を続ける。
 以前に本ブログでは、玉将と金将のどちらか
一方を8×8升目の盤内で詰む条件で、八方
歩み駒が3つ有れば、さほどの手間無く、寄せ
るのは可能であるとの旨を述べた。
 しかしながら、実際には、終盤に2:3で、
駒が残ったときに、味方に残る盤上の駒は、
8×8升目32枚制原始平安小将棋(取り捨て)
の場合、基本的に、成り駒は駒の動きによって
呼ぶ事にすると、

8方動きの玉が一枚と、6方向動きの金将が
2枚である。

つまり、金将は、一旦味方陣の方に引き寄せて
からでないと、相手の駒を詰むのに有効でない。
 この分、原始平安小将棋の終盤は

手数が掛かる

のである。
 そのため”と金”の駒を、己の姿の化身のよ
うに見ている、九州大宰府の武者の棋士のよう
に、盤上の成り金駒に、なんらかの思い入れで
もなければ、

金将が、8方動きの近王や熊眼や毒狼や前牛の
ように、八方には動けないので、終盤が、やや
カッタルいゲームに見える

事になる。北宋の中国人の場合、夢は科挙の試
験に合格する事であって、武芸を磨いて、のし
上がり、貴族的武家政権の長になる事では、
一般に、その時代無かったとみられる。
 だから、と金が、日本人のその当時、将棋
をよく指した、九州大宰府の武者等とは違って、

単なる駒にしか見えなかった。

よって、その動きがカッタルければ、単純に、
イライラするだけであり、いろいろ動かして、
喜びを感じるという事も、ほとんど無かったに
違いない。つまり、
金将2枚と玉将で、相手の玉か残った金を詰む
のに、

多少間延び感が、実際には有る。

そのために、ゲーム性だけが、ゲームをするか
どうかの、分かれ目となるだけな、ここで言う、
不真面目な中国人にさえも、原始平安小将棋が、
定着しなかったという訳なのではないかと、言
う事になる。
 なお、それなら、金将をいわゆる7方向動き
の”酔象”等に、中国でだけ、替えれば良いで
はないかとの疑問も、あるいは出てくるかもし
れない。しかし中国人には、玉の方が金よりも、
かなり価値があるという観念が、少なくとも当
時は強かった。その為に、金将の6方向動きは、
8方動きの玉将と対比して穏当であり、よって
変更も、彼ら自身の手によっては、出来なかっ
たに違いないと思われるのである。
 以上のように考えると、

ざっと中国には、日本の将棋の形のものが、
残った形跡が無いというだけでなく、完全に、
その形の痕跡が見られないという事実が、
ほぼ説明できる

ように見える。以上のように、私は今の所、
考えるのである。(2019/09/03)

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