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角行動きの酔象平安小将棋を興福寺で指した訳(長さん)

本ブログによれば、大理国とみられる原産国
を出発した際、日本の原始的な8升目の平安
小将棋の右銀位置に、角行動きの酔象が有った
と考えられている。今回はそもそも本来なら、
何故酔象が有るのか、ゲーム性という観点から
考察する。回答を先に書く。

後手が完全マネ将棋を指すと、酔象の無い
8升目原始平安小将棋は、千日手が必然だった

とみられる。
 では、以下論を続ける。
 ここで議論する原始平安小将棋とは、8×8
升目で、一段目配列が左から、
香車、桂馬、銀将、玉将、金将、銀将、桂馬、
香車と並んで更に、3段目に8枚の歩兵が並ぶ、
32枚制の取り捨て将棋の事である。金将は
1枚だし、持ち駒ルールは無かったと考える。
 この将棋を、

後手が先手を完全に真似るように注意して指す

と、途中局面として、以下のようになり、

原始平安マネ途中.gif

遂には、以下のような局面に至って、千日手で
終了するとみられる。

原始平安マネ指終.gif

 つまり、本来原始平安小将棋は、旦代の難点
こそ無いものの、後手が注意深くマネ将棋を指
すと、勝負がつかないという性質を、持ってい
たと見られる。
 そこで次に大理国を出発した時点の、8升目
制で角行動きの酔象が一枚入った、本ブログで
言う大理国原始平安小将棋について、同じよう
に、後手は注意深く、完全に先手を真似るよう
に指す事を考えてみる。
 なお、この将棋は、過去何回か述べたように、
最下段の配列が、左端から、香車、桂馬、銀将、
玉将、金将、角行動きの不成りの酔象、桂馬、
香車と、配列され、3段目に歩兵が8枚並ぶ、
32枚制の将棋である。
 このケースは、王手酔象取りを避けるために、
いつもとは言えないが、しばしば

玉は、大駒の酔象と離して動かすので、遂には
弧立してしまい、下の図のように、先手が勝つ
事が少し多い

とみられる。

大理国平安指終.gif

だから後手は酔象の
有る将棋では、真似将棋を、概ね止めなければ
ならなかっただろう。
 つまり伝来し、後一条天皇の玩具になったとみ
られる、原始平安小将棋に比べて、

本来の大理国原産の将棋の方が性能が、少し上

だった疑いが濃いとみられる。だから興福寺で
は、酔象を使い、現にそれが出土しているとの
見方を、本ブログでは取るのである。
 朝廷では、源隆家や大江匡房が、将棋の初期
配列の左右対称性という、形に囚われて、酔象
廃止の詔を、白河天皇名等で、院政期の平安末
出させたのだろうが。
 将棋を好きで指していた興福寺の下級僧達は、
その詔には、内心大いに不満だったに違いない
と、考えられるのである。(2019/09/09)

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