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(コラム)国立天文台は独法天文学研究所に改名すべき(長)

9月10日の東京新聞朝刊によると、軍事技術
への独立行政法人国立天文台の係わりに関して、
研究応用禁止を廃止の方向で、検討していると
言う事である。防衛省からの”攻撃”に関し、
やや天文台の応手が、貧弱なように私には思え
る。そこでここでは、その対応に加えて、

研究所の名称から来るイメージから、防衛省に
国立天文台が、足元を見られた形と考えられる
ので、表題のように、組織名称を変えると良い

のではないかという論を、以下に展開する。
 そもそも、国立天文台は、古くは東京天文台
だが、江戸時代の幕府天文方の後継である。
 だから、

本来、天文学研究所でも、おかしくはないはず

である。東京天文台は、東京大学の天文台の意
味が、元々だったと見られる。そして、
国立天文台になったのは、当時の渡部潤一教授
からの話だと、結論だけ書けば、

すばる望遠鏡を建設するのに、論点を集中する

ためだったとされる。”研究所”では、論点が
ボケるからだとみられ、一応尤もである。今回
の問題は、それをいわば逆手にとった、防衛省
役人による”圧力”だったとみるのが、ハタか
ら見れば、どうみても自然だ。
 ”天文研究に集中したいので、防衛省に限ら
ず、他の組織に人手や、資源を横取りされるの
は心外だ”と考えるのが自然な、国立天文台の
執行部を、どうやったら納得させられるのか。
その戦法が、防衛省の一定の役人達の中で、
検討されたという内実が、見え隠れするからで
ある。
 従って、これは組織の名称に、目標像の解像
技術、画像類の情報検索技術しか無いかのよう
に見える、現行の、天文台という名前に起因す
る問題が、基底として有る事を示している。
 よって望遠鏡運用セクションに、国立天文台
という施設名を残したままで、今後防衛省との
個別のやりとりは、その運用責任者に任せ、
現行の国立天文台の、中心的研究者は全て、

独立行政法人”天文学研究所”へ改名移行させ、
倫理規定は、学術会議や日本天文学界のままに
すれば問題ない

ように、私には見える。
 前置きが長かったが、もう少し論を続ける。
 そもそも防衛省が、武士団が前身とみられる
本質の特徴をよく保存しつつ、最近の政治的
な傾向の変化をも、若干背景にして”研究協力
を要請”した理由は、その”応用研究”自体が、

本来の国際紛争対応への戦法として、かなり
怪しいもの

だったから、なのではないか。まともなら、
他に、こんな新聞沙汰にならないで、解決する
方法が、幾らもあったはずである。
 すなわち現在では、ハードよりもソフトとし
ての、敵国の情報ネットワークの破壊が、戦略
上のメインに、移行しつつある。にもかかわら
ず、ハードとしての施設を、ピンポイントで
攻撃するというカテゴリーの戦法が、クローズ
アップされたというのも、言わば現代の近代戦
争に対する戦術論として、

”それを、してまでもするという点で、元々
おかしな話”

ではないか。つまり、防衛省の特定の役人が、
国立天文台に持ってきて、今回問題になった
”協力テーマ”なるもの自体、

実用性や、そもそも具体的な様々の戦争局面で、
本当に有効なのかどうか、現代における国際紛
争の現実への対応戦法としては、かなり怪しい、
しろものであった

事が疑われる。ここで、”それをしてまでも
するという点で、元々おかしな話”というのは、
最近は、夜空が明るくなったせいか、望遠鏡が
余り売れ無くなり、聞かれ無くなったが、前世
紀には、たいへん盛んだった、レイリー限界と
いう単語を使うので著名な

光学機器の性能に関する”基本の話”の事

である。つまり、いまの防衛庁幹部の育った
時代の頃からは、ほぼ、巷で交わされなくなっ
た”談義”を知った上で、その理屈を適用する
と、という意味である。つまり

”その光学機器”は、デカく無いと、どうやっても
分解性能は出ない

という意味だ。ある意味ここに来て、
光害と消費税の値上げとの間には、”風と桶屋”
との間の関係と、似た関連性が有るという点が、
我々一般国民の間に、次第に明らかになって来
つつあるという事、なのかもしれない。
 つまり、今回の騒動は、その”怪しさ”を、
防衛省という、

組織ブランドで、カモフラージョしたものであ
った疑いが濃い

と私は思う。よって、国立天文台の執行部に、
現代の国際紛争の戦法に関する、有る程度の知
識があれば、元々個別に、防衛省の推奨する
依頼テーマなるものの、理屈の中身を吟味した
上で、おかしな、しろ物であれば、国民の利益
を優先して、最初から断れたものだった疑いも、
有るように、個人的に私は思う。
 しかし、ともかく相手は、現行の天文研究組
織にとっての、

ウィークポイントを突いて、レイリー限界の例
から見て、科学というものがどういうものかも
余り判らず、無謀にも、精神論で先制攻撃を企
てて来た

という、過去にも例が有ったのかもしれない、
局面展開なのであろう。だから、現在の
国立天文台は、次の一手を、正しく返すべきで
はないかと私は思う。
 そこで表題のように、具体的な施設の名称と
して、”国立天文台”の名は残した上で、

”やはり、平和が良い”という世論も加味して、
実体の中身を、曖昧にしか表して居無い、現在
の組織名称自体を、変更して明確化し、対応す
るという手が、比較的穏当

なのではないか。
 そもそも現行の”国立天文台”名に、組織改
組した当時の責任者は、概ね他界されたと聞く。
だから主力が、天文学研究所へ名称変更し移行
しても、業務は変わらず、やって居る事が、大
衆に判りやすくなると言う点で、メリットが有
れば、恨みは余り残るまい。
 以上のように、この日の記事を読んで、私は
考えた次第である。(2019/09/11の2)

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八方桂型インド二人制古チャトランガは先手有利(長さん)

欧米の遊戯史界で、現在は、インド2人
制古チャトランガは、下段が飛龍、八方桂、
飛車、玉将、大臣、飛車、八方桂、飛龍
動きだというのが、定説だろう。実際に
指してみると、八方桂が序盤に活躍するし、
兵が、相手の駒を取る時2方向のポーンな
ため、働きが日本の将棋の歩兵に比べて
大きく、いかにも、旨く行っていそうに、

序盤だけ見える。

しかし、馬が強いので、玉将、大臣、飛車
の配列は、イスラムシャトランジの、
飛車、八方桂、飛龍、玉将、猫叉、飛龍、
八方桂、飛車の、象/車逆転配列よりも、

王手飛車を食いやすい。

1300年以上も前のゲームにしては、
いっけんマトモだが、本当に王手飛車が
簡単にできるゲームが、古代インドで指さ
れたのかどうか、若干の疑念も有る。
 ただし、以前の例では、後手が悪手を
指した場合に、序盤で先手から王手飛車を
喰らった場合であった。実際には序盤の悪
手は、何回か経験すると、指さなくなると
考えられる。そこで、今回は、もっと良い
例が無いかどうか、探してみた。
 結論を書く。

先手が飛龍を、盤面中央ではなくて、端で
切る手の方が、より判り易すそうである。

この例から、

日本の将棋のように、インドの2人制古
チャトランガも、馬が桂馬だったのではな
いかと、より強く本ブログの管理人には疑
われ出した。

では、説明を続ける。
 インドで西暦600年から775年まで
は、少なくとも指されたとみられる、象が
飛車動きの、初期インド2人制古チャトラ
ンガの馬が桂馬であるか、八方桂であるか
どうかは、

日本の将棋、特に平安小将棋系のゲームの
系統樹上の、位置付けを決定するのに重要

である。つまり、弧立型(八方桂の場合)
か、生きている化石類としてのインド古形
型(桂馬の場合)かを決める、分かれ目に
なるからである。つまり、玉と金将の他に、
もう一種類、最下段に動きが両者で、共通
の駒種が、あった方が良いという意味であ
る。そこで、初期インド2人制古チャトラ
ンガの駒構成については、入念に検討する
事が、特に日本の将棋史家にとって重要と
考えられる。
 そこで、もっと判りやすい、インド2人
制古チャトランガの序盤の王手飛車局面を
探したところ、以下のような例を見出した。
 以下の局面は、以前示した陣形に似てい
るが、以前の陣形とは袖のポーンが更に、
上がっている点で違っている。すなわち、

以前の陣形から、仕掛けずに、もう少し、
先後手同形に、互いに駒を組んだ所である。

2人制チャトランガ仕掛2.gif

 ここから、先手が先攻めするのだが、
前と違って、左飛龍は陣の中央で捨てずに、
端筋の方で捨てる。
 すなわち、上の図のエクセル記号のまま
で、着手を表すと、以下のように表現され
る。
 ▲B4ポーン△(A3から)B4同ポー
ン、▲A4飛龍、△(B3から)A4同ポー
ン、▲(A5から)B4ポーン、△A1右
の飛龍、▲C6八方桂馬、△G5ポーン、
▲B3ポーン△(C2から)B3同ポーン、
▲E5八方桂馬、△(G5から)H6ポー
ン、▲B4八方桂馬で、以下の局面になり、
王手飛車が成立する。

2人制チャトランガ成立2.gif

 ここでも厳密に言うと、後手は悪手を
指している。すなわち先手の、端の捌きに
関して、

相手にしないという方法がある

のである。
 本当なら、先手の手を、後手は完全に、
マネた方が良かったに違いない。しかし、
強いられて、マネ将棋を指した場合には、
たいがい先攻め側が、勝つ場合が多い。

以上の例から見て、このゲームは、先手
がかなり、有利なのではいかと、私は疑う

ようになった。
 1300年前とはいえ、インドでは、序
盤の駒の捌きは、確かに華麗とはいえ、

本当に、極端に先攻め側が有利な将棋を、
指していたのだろうか

という疑問は、少なくとも無視は、し得な
いように思う。
 1300年も前の事だからと言ってしま
えばそれまでだが。やはり、

インドの2人制古チャトランガの馬駒は、
序盤に大駒の交換が余り起こらない、桂馬
型だった疑いも、欧米の研究者の現行の多
くとは違って、無視は、し得ないのではな
いのか。

以上のようにして、日本の将棋が、シーラ
カンスのように、古代の記憶を残したゲー
ムである可能性は、全く無いとまでは言え
ないような気が、私には以前に増して、か
なり強く、するようになって来たのである。
(2019/09/11)

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