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南詔国貴族棋士イスラム発第3波不採用はキマグレ(長さん)

以前に述べたように、現在の日本将棋の金将が近王
で桂馬-香車形が、インド二人制古チャトランガ型
なのは、特に桂馬-香車型については表題のように、
本ブログ見解では南詔国の貴族棋士による、標準形
としての、イスラムシャトランジの不採用、つまり
本ブログで言うアラブイスラム発の第3波の不採用、
持駒使用の謎で言う、”インド発第2波”の不採用
が、理由とみられる。では、この南詔国の貴族棋士
の行動には、何か相当の訳があったのだろうかとい
うのが、今回の論題である。
 回答は、表題の通りであるが、

どちらでも良かったが、たまたま採用しなかった

と、本ブログでは考える。
 理由は、特に後者について、象-車ルールの
反転を以下、ビールーニ型反転と、仮に呼ぶことに
して、

ビールーニ型反転を行わないまま、原始平安小将棋
化しても、実際の反転した原始平安小将棋と、ゲー
ムの良し悪しに関して大差がない

とみられるからである。
 結論と理由付けは以上の通りだが、もう少し説明
を続ける。
 以下に、ビールーニ反転をして到達するとみられ
る、仮想の8升目制原始平安小将棋を示す。もし、
西暦825年より少し後に、南詔国が、持駒使用の
謎記載の第3波(”インド発”第2波。実際にはイ
スラムシャトランジ化が、実質的意味)を受け入れ
ると、以下の将棋が、南詔の後継である大理国から
西暦1015年に、日本に伝来すると見られる。

平安小将棋ビールーニ反転初期.gif

この初期配列から、だいたい先後手同形で指し進め
ると、以下の局面を経由して、

平安小将棋ビールーニ反転途中.gif

最後に以下のような指了図局面に達して、引き分け
になると見られる。

平安小将棋ビールーニ反転指終.gif

最後の局面から見て、この変更による効果と言う点
で、ビールーニ反転の無い、普通の原始平安と、ほ
ぼ同じだ。
 つまり、
持駒使用の謎記載の第3波(”インド発”第2波。
実際にはイスラムシャトランジ化が、実質的意味)
を、南詔国の貴族棋士が、実際の経過とは違って、
受け入れて、象駒と車駒を入れ替えても、

端の象が銀将に進化しさえすれば、それほど結果
に大差が無かった

と言う事である。
 だから彼らの選択は、歴史の痕跡を残してくれた
という点で、ありがたかっただけのものであり、

そうしてくれても、してくれなくても、日本将棋
の性能には、さほどの影響が残らなかったもの

と考えて良さそうだ。
 だから、

変えるのが単に、おっくうだったから、そのまま
だった。

以上のように、実際の進化を表現するのが、やは
り無難なのではないかと、私は思う。
 つまり、何でも中国に良く合わせた、平安時代
初期の日本人とは、日本の原始的な将棋を進化
させた人種の思考は、少なくとも南詔国の時代に
ついては、ぜんぜん別だったのではないかと、疑
われると言う事である。(2019/09/24)

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