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銀桂だけ持駒使用した、平安小将棋は存在したか(長さん)

以下、本ブログの系統から外れるが、持駒ルール
の歴史解明に関する話題である。先行文献”持駒
使用の謎”等、先行研究では①誕生事由と②時期
が主に議論されてきた。
今挙げた文献は、日本将棋連盟が西暦2001年
に出版した、将棋棋士で、元の将棋博物館館長、
木村義徳氏の成書で、言うまでも無く代表的な先
行文献として挙げる事ができる。
 上記成書には、①は将棋駒の形態に起因し、
②は西暦1058年以前と書かれている。
日本将棋の起源について使用したページ数が多く、
持駒使用関連のコンテンツは相対的に少ない。
 ここでは、第三の論題として”発生原因”、

③なにが、それまで不便だと思われた

のかを論じる。取捨ての平安小将棋は終盤に、

玉動きと金動きの2種類駒の組合せで詰み将棋を
する結果になるが、それが単純で面白くなかった

のであろう、というのが結論である。
 では、以下議論を続ける。
 西暦1300年成立の普通唱導集の小将棋の唱
導唄に於いて、第1節(成り金が出来る事のうれ
しさ)と、第2節(銀と桂馬を交換して、前者の
方が価値が高いので、桂馬を持たされた側が、がっ
かりした顔をして、愉快だった。)とは、別ゲー
ムであると、本ブログでは考えている。前者第1
節は、取捨ての平安小将棋であり、後者第2節は、
持駒ルールの平安小将棋を唱導しているに違いな
い、というのが本ブログの見方である。
 理由は全体として、相手陣への歩兵打ち(歩の
有る勝ち将棋)が、強調されない奇妙さであるが、
原因は、

複数タイプの小将棋が、西暦1300年時点で、
西暦1200年の二中歴の状態に”習って(?)”
存在したため

というのが、ここでの考えであった。
 また従来は、”持駒ルール”を現行の日本将棋
の、それのルールのイメージでのみ見てきたが、

本ブログでは、それも間違いであろう

と見てきた。1手を入れると成れる位置に、持ち
駒は打てず、更には、現行の中将棋の成り条件則
だという仮説もその一つだった。
 何れにしても、現行の日本将棋の持ち駒ルール
が完成度が高く、面白いのは判ったが、取り捨て
から、現行の完成度の高い持駒ルールが形成され
るまでに、

予想される、紆余曲折に関する議論が乏しい

と、本ブログの管理人は、常々感じてきた。
 そもそもその為に必要と見られる考察、すなわ
ち、取捨ての平安小将棋で、何が不満なのかを、
充分に、議論し尽くしたとも言えないように私に
は思える。
 不満な理由は、スローであった事に加えて、

玉の動きをする玉と、金将の2種類しか、寄せに
関係する、登場キャラクターが存在しない事

では、なのではないのだろうか。
 そこで、そのような見方から、普通唱導集時代
が、取捨てから持駒ルールへの、転換期だと、
佐伯真一氏や本ブログのように見るとして、もう
一度、その普通唱導集の、小将棋の唱導唄を振り
返ってみる事にした。すると、

第2節は、銀と桂馬以外に言及が無い

という事に、先ず気が着いた。従来は、たまたま、

歩、香、金、桂、銀のうちで後ろの2つだけ注目

したと、当然のように解釈された。
 しかし物は試しと思い、桂馬と銀将は持駒とし
て打つ事が出来るが、歩兵と香車と金将は打てな
いという、8升目32枚制の原始平安小将棋を指
してみると、一例として、
以下のような、指し終わりの局面になった。

原始平安小将棋銀桂持駒指終.gif

この将棋は展開が、走り駒がほぼ無い分、現行の
日本将棋よりスローだが、攻守のバランスは比較
的取れている。

守りの要である、打ち”歩の無い将棋は、攻撃性
の高い駒に押し切られて)負け将棋(正直に歩兵
だけ打てないとしてしまうと、つまらない)”
なのだが。

金や香車も打て無いようにして、攻撃力を低下さ
せると、バランスが回復するのである。
 しかも、桂馬と銀将が当然寄せに関与するので、
取捨ての平安小将棋より、キャラクターが増えて、
複雑化する。シャンチーやチャンギの終盤に残る
キャラクター数4~5と、ほぼ同じだからである。
 なお持駒ルールにした結果、最低でも駒が、
64升目のこの場合の将棋盤に、計10枚程度、
事実上残り続けるので、駒枯れは無い。桂馬が
後退出来ないので、入玉は有利だが、相互入玉
で、常に勝負が着きにくいとも、限らない。
 このテストだけでは、情報が限られるが、
普通唱導集に書いてあるように、寄せの段階で、
桂馬動きをする打ち駒と、銀将動きをする打ち駒
が加われば、当時は聖目越え、一発成りルールだっ
たため、従来の玉金裸王狙い将棋から、
金動き駒、銀動き駒、桂馬動き駒の3種類で、
玉動きの玉を詰む将棋に、変えれば面白いのでは
ないかという思考が、発生したとして不思議では
なさそうだ。つまり、

ゲームデザイナーに、終盤の関係駒種の種類数を
2種から最低でも4種に増やしたいという思考が、
具体的に働いた事による、持駒ルールの発生

という、動機がもしかして有ったのではないかと
も、推定できそうである。なお、普通唱導集の大
将棋の記載から、シャンチーやチャンギに対する
ゲームの出来との比較が、日本人のゲームデザイ
ナーには西暦1300年の時点で、意識されてい
た可能性があるように、私には取れている。
 今回述べたのは、結論の一例だが、冒頭で述べ
たように、

持駒ルール論には、①誕生出来た要因と②時期
(論)の他に、少なくとも③発生原因としての、
動機論が必要。

以上の点は、どうも確かなのではないかと、別族
である、複雑な可能性を抱える将棋、大将棋の思
考の立場からは、かなり疑われるところである。
(2019/10/03)

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