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平安小将棋旦代難点。日本将棋連盟成条件で非克服(長さん)

今回は、日本将棋連盟を含む現代の日本将棋
の駒の成りに関するルールが、普遍的な物と
勘違いしてしまった、”持駒使用の謎”の
木村義徳氏が、惑わされて持駒ルールのみで
は、旦代難点が克服できないという、

間違った結論を導き出した

と思われる点について論じる。
昔の成り条件則を、現代の敵陣移動毎成り型
に変えなかった事が、塞翁が馬のように作用
して、

持駒ルールの導入だけで、9×9升目36枚
制の標準型平安小将棋が、不完全ながら、
かなり改善された

という意味である。
 さて本ブログでも、今述べた点について、

間違った見解を示してきた

と考えられる。今後、今までの考えは撤回し
て、以下のように、改める必要があると見ら
れるという事である。まず初めに、
以前に、本ブログで示した見解は、次の通り。
9×9升目36枚制の標準型の平安小将棋は、
①取捨てルールでは、旦代晃一氏の指摘した、
後手マネ将棋による、仕掛け直前局面の硬直
化という、”旦代の難点”が発生する。
②持駒ルールで、二中歴時代の、敵陣聖目越
え一発成りルールが有り、その際成らないと、
相手陣奥で行き止まりという成り条件則では、
①より少しの改善に留まる。
③持駒ルールで、日本将棋連盟や現代の将棋
家が行っている、成り条件則である、敵陣移
動毎成りでは、②よりも更に改善され、完全
解決では無いものの、南北朝時代の標準型平
安小将棋が流行る理由になった。
④戦国時代に、飛車と角行が導入されて、
旦代難点は、小将棋からは完全に消えた。
 このうち、間違いが発見されたのは、
②と③である。次の表現の方が、正しいよう
だ。
②’持駒ルールで、二中歴時代の、敵陣聖目
越え一発成りで、成らないと相手陣奥で行き
止まりという成り条件則下で、既に完全解決
とまでは行かないものの、南北朝時代に9升
標準型平安小将棋が、流行る理由になる程度
の、改良効果が実際には有った。
③’③持駒ルールで、日本将棋連盟や現代の
将棋家が行っている、成り条件則、敵陣移動
毎成りでは、①より少しの改善に留まる。も
し、この変更を先にやってしまうと、

9升目の将棋は、廃れていたかもしれない。

現行の成り条件則、敵陣移動毎成りは、従っ
て、飛車、角行が導入された後の、戦国時代
から安土桃山時代にかけて、持駒の歩兵が、
ダブつかないように、再調整されたルールだ
ろうとみられる。
 では、どうして②と③が逆なのかを、以下
に説明する。
 以下の図は、旦代の難点の局面の、一番
簡単とみられる例である。

標準平安旦代持駒台.gif

上の局面から、図のエクセルの記号の方が、
間違えにくいので、そちらを使うと、以下
の手順で、先手が先攻めした下の局面図に
達する。すなわち、▲H5歩兵、△同歩兵、
▲同桂馬、△同桂馬、▲H6歩兵。

標準平安旦代変化.gif

言うまでも無いが、▲H6歩兵は、取った
ばかりの、持駒の歩兵を先手が打ったので
ある。以前のこのブログでは、

この歩兵打ちを、私は見逃していたようだ。

②と③についての、本ブログの見解の間違
いは、この歩兵打ちの手を、うっかりして
いた事から、発生しているのである。
 しかし問題は、

木村義徳氏が何故、持駒使用の謎で、この
手が成立しないと考えたと、みられるか

だ。実は、将棋を指す方なら、持駒台の
後手の持駒を見て、直ぐに気がつくだろう
が、当然、次の一手は、図の記号で△H8
歩兵(打ち)と、歩を垂らす手だろう。
実は、今の日本将棋では、この歩はH9の
位置で”と金”に成れる。が、二中歴の
小将棋のルールでは、行き止まりのまま、

成れないとみられる

のである。つまり、昔は”原始的中将棋成
り条件則”だったと言う意味だ。そこで、

日本将棋を指す方にとって、当たり前の
手が、有効で無い

とみられるという事になる。その為に、
後手はしかたなく、このケースには、
△H4歩兵等と押して来ると考えられる。
 それでも、その後は▲H5歩兵、△同
歩兵等と進み、後手が幾分かは、優勢だ。
先手はその後、▲G7金将寄り等と、挽回
を狙った手を指してくると見られる。
~▲F7桂馬(再度打ち)を狙っているので
ある。
 しかし、H9で”と金”が出来る場合は、

それだけで本来なら先手は、シビれてしまっ
たはずなのである。

 上の閊えた銀将は、と金の下からの攻撃に、
弱いためだ。そこで▲G8銀将と、と金を取るぞ
をかけると、△I5歩兵▲同歩兵△I7桂馬打ち
▲同香車△同桂馬不成の手も有る。
 繰り返すが、戻って△H8歩兵(打ち)と、
歩を垂らす手が出来ない場合は、単に後手が
”かなり優勢な状態”に、留まる程度である。
 だから、

木村義徳氏が考えているよりも、旦代氏の
難点は、持駒ルールを導入しただけで、
成り条件則を”相手陣、聖目越え一発成り”
の平安時代のままにすれば、かなり改善して
しまう

という事になるようだ。
 なお、このような考察が、現代の棋力
の著しく高い、PCソフトを必要としてい
るかどうかについて、私はそのような道具
は、不要な疑いがかなり有ると考えている。
将棋の入門書流で言う、

”駒の上図な使い方”という、初心者マニュ
アルのカテゴリーの、範囲内での話なのでは
ないか

と思えるからだ。
つまり、ルールが変わると、初心者マニュア
ルに有った、駒の使い方のうちの一部が、

有効になったり、無効になったりする

と言う事なのであろう。
 以上の結果をまとめると、今後は、
南北朝時代に例えば新安沖沈没船出土駒
で指された将棋は、持駒ルールで、成りが、
敵陣移動毎成り(現代のルール)とは

考えにくく、

持駒ルールで二中歴時代の、相手陣聖目越
一発成りの将棋が、しばらく指され続けた
と、推定されると言う風になる。よって

本ブログの以前の論は間違い

であろう。つまり成りの条件則は、前の
鎌倉時代のままで、南北朝時代の小将棋
でも指されたと

言い直す必要が有る

という事になろう。そして今まで言われた、
9升目型の平安小将棋では、持駒ルール
に変えても、旦代の難点が存在し続ける
可能性があるという、持駒使用の謎の、

木村義徳氏の説も、不完全であった。

 実際には完璧に無くなる訳ではないが、
成りが、敵陣聖目越え一発成りのままだっ
たので、”塞翁が馬”のパターンで、

幸運にもかなり、改善された。

そのため南北朝時代には、9升目平安小将棋
(持ち駒有りで、成り聖目越え一発型)の
時代が、どうやら到来したらしいと、言い直
す必要が、有りそうである。(2019/10/06)

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