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文禄本、幸若(舞)信太の将棋を推定する(長さん)

表題の将棋について本ブログではこれまで、
①王行または玉行は、飛車のミス、
②太子は太子成り酔象のミス
であり、取捨ての朝倉小将棋であろうとの
見解を取ってきた。今回は、

それを否定する

内容について記載する。
 実際には、これだけの情報で、説の良否
を判断するのは、困難と見られる。
①’王行または玉行は横行動きだが、奔王
成りなので、改称した。
②’太子という表現なのは、不成太子とい
う将棋が指された事が、本当に有ったから
として、どんなゲームだったかを、推定し
てみる。なお文禄元年は、西暦1592年、
初演は1555年前後と聞いているので、

この将棋は戦国時代の頃のものだろう

と推定する事にする。
 では、論を続ける。
 少なくとも室町時代のレベルで、曲舞に
書かれた、将棋の手数の長さから小将棋類
と推定されるこの将棋は、

取捨てルールと見られる点で、異形

だったと本ブログでは考える。
 天台衆のとか、天竺衆のという出だしで
始まっている事から察するに、

仏教寺院で、教義を広めるために、特別に
戦国時代に作成されたもの

だろう。

取捨てにしたのは、玉将が取られても負け
にならない、太子が必須だったから、玉将
の持駒化という、矛盾を避けるため

だったと考えられる。
 王行は、横行とルールが同じだが、奔猪
ではなくて、より人間に近い奔王成りとし、
行者への、”ありがたい阿弥陀如来等の御
利益の話”と、したかったから等かもしれ
ない。
 横(王)行と角行があるのは、煩悩に囚
われながら修行する、落第生の行者を、ゲー
ムキャラに入れたかったので、

中将棋から、選択的に選んだ

と考えられる。
 この将棋は、仕掛け局面から逆算してみ
ると、以下の初期配列なら、取り捨てルー
ルのまま、旦代の難点は回避される。

幸若舞信太将棋初期.gif

 すなわち、ここからは、端攻め作戦で指
した後手は、旦代難点模様で、駒組をし出
した先手に対し、以下の初期の変化局面で、
優位に立てるはずである。

幸若舞信太将棋変化.gif

 よって、互いに端攻めをするので、取り
捨て将棋でも、仕掛局面で、”固まってし
まう”という事は無い。

幸若舞信太将棋駒組.gif

 以上の局面からの攻め合いを、実際の史
料、文禄本、幸若(舞)信太の記載内容と
比較してみると、

おかしいのは、銀将が比較的早く、攻めに
加わる点だけ

である。
 残りの点では、史料で唄われているよう
な展開になっているように、私には思える。
特に、角行と王行は、確かにねじりあいに
なっている。
 一例では次のような、指終局面になる
はずである。

幸若舞信太将棋指終.gif

 この将棋は、

南北朝時代時点での、持駒有の平安小将棋
に比べて、レベルがかなり劣る。

たぶん終盤の形勢判断は、持駒有の平安小
将棋の方が、かなり難しいはずである。

寄せは簡単すぎるだろう。

だから、戦国時代に、この将棋が指された
期間が有っても、かなり短かっただろう。
 しかし、宗教上の理由で酔象や太子を
小将棋に加えたため、

朝倉小将棋の発生に、なんらかの寄与をし
た可能性は、否定できない

ように、私には思える。
 またこの将棋は、元々

小型の中将棋を作りたいという発想のもの

である。だから、中将棋が好きな僧侶が、
取捨て型のこの、文禄本、幸若(舞)信太
の将棋を作成したのだろう。そして曲舞を
作った作者に知られる程度に、その作者の
近辺で、戦国時代の西暦1500年前後頃
に、たまたま幾らかは、指された将棋だっ
たに違いない。(2019/10/13)

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