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四人制チャトランガに先手勝防止の兵は本来不要(長さん)

現在存在する将棋類はほとんど全てそうだが、
必ず日本将棋の、歩兵に類似の駒が存在する。
今回は何のために歩兵があるのか。また、
サイコロで手を制限する偶然ゲームでは、不要
と見られる事について、論じる。
 では以下に論を続ける。
 将棋類の歩兵を恣意的に抜いたゲームとして
は、太閤(豊臣秀吉)将棋が有名である。この
将棋は、偽の上手を豊臣秀吉が持ち、上手なの
で先手となって、初手に▲2三飛車成と指す、
将棋であるとみられる。
 これは極端な例であるが、歩兵を抜くと、だ
いたい先攻め側に、妙手が発生して、以降の展
開が一方的になるとみられる。例外は、駒を取
り合ってから、後手の有利な局面だけが残る、
”どうぶつ将棋”のように、極端に駒数の少な
く、手が限られる将棋類だけのようだ。なお、
この点は取捨ての将棋でも、同じと思われる。
それを防止するには、取り合い開始までに、別
に手数が掛かるように、ゲームを調整する必要
があり、その対応策の代表が、歩兵を間を少し
空けて最前列に配置する事だったとみられる。
 ただし、完全に歩兵で、”初っ端先攻め”を
防止してしまうと、逆に後手必勝の将棋になっ
てしまうようである。そのため、斜め走り駒を
発明して、斜め走り駒の攻撃については、斜め
前の歩だけ上げれば、走り駒が敵陣に殺到でき
たり、桂馬のような、歩兵の存在に係わらずに、
跳び越えられる駒を作って、ゲームを複雑化さ
せた。つまりこうして、先後手どちらが有利か、
判りにくいようにしたようである。
 特に、日本将棋では、歩兵が3段目配列だ
ったため、馬駒は兵を跳び越えられず、角行の
出現で始めて、先手、後手どちらかに必勝が、
偏りにくくなったようである。
 以上の点を踏まえて、王、大臣、象、馬、車
兵が、玉将、近王(熊目等)、角行、桂馬、
走る飛龍、ポーンの動きと見られる、11世紀
(後期)インド2人制古チャトランガと、その
派生サイコロ賭博ゲーム、インド四人制チャト
ランガについて、ここでは考えてみる。

この将棋・チェス型ゲームは、縦横型の走り駒
が無いので、兵の効果は、他の同類ゲームに比
べて、元々比較的低い。

 2人制チャトランガは西暦600年、4人制
チャトランガは西暦900年以降と、今の所、
本ブログでは成立年を見る。インドの2人制古
チャトランガには、2つの時代があり、
600年~900年ころまでは、第1期の、
象が飛車動きの時代。900年から1050年
頃は第2期の象が角行の時代。それ以降が、
象が銀将の動き、車が飛車の時代と、本ブログ
では見ている。よって、

兵は、第1期の象が飛車時代からあり、当時の
象の直射を避けるため

だったと、ここでは考える。角行に代わった
第2期でも、兵が無いと、先手だけ王手を掛け
続けて、しばしば千日手になるので、一応継続
して、兵が存在したのであろう。
 逆に言うと、

四人制チャトランガのように、着手がサイコロ
で制限されているゲームの場合、王手までの手
数も実際には少ないから、兵が存在する意味は
余り無い

事が推定できる。19世紀の頃から、世界最古
のチェス・象棋・将棋類である、インドチャト
ランガが、発生時に二人制だったか、四人制が
先に有ったかで論争があったが、四人制を先と
すると、今述べた”兵が存在する事のおかしさ”
が、一つは有ったものと見られる。
 バールフートの彫刻が無ければ、最初から”
インドチャトランガは2人制から出発した”と
いうのが、20世紀の将棋史学会の、大勢になっ
ていたのかも、しれないようである。(2019/10/17)

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