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隋書倭国伝の倭人囲碁打ちは六詔の誤りの疑い(長さん)

鳥越憲三郎氏(中央公論、2004年)に
よれば、正史の隋書の倭国伝の時代には、
中国での日本の地理の推定が、不安定であっ
たという。そのため正史といえども、以下
本ブログの解釈であるが、
中国雲南の今で言う少数民族の習慣が、日
本人のそれと混同されている可能性がある。
そのため

”日本人が囲碁を指す”との旨の記載は、
実際には雲南に有った、六詔時代に、
南詔国とは違って、そこで囲碁が指された
という意味である、疑いがある

との旨、取れるような内容が書かれている
という話を、以下に述べる。
なお、冒頭の鳥越憲三郎氏(中央公論)の
成書は、”中国正史 倭人・倭国伝全釈”
2004年である。
ようするに以降、本ブログでは、
日本での囲碁の伝来は、恐らく飛鳥時代。

その頃中国雲南省の六詔時代には、恐らく
そこでも囲碁、盤双六、博打が行われてい
た疑いが有る

との解釈を取る事にしたい。
 では、以下に論を続ける。
本ブログでは、このブログにとって、最も
厳しい解釈として、

隋書の倭国伝は、日本と雲南と両方で、
7世紀半ば以前に囲碁、盤双六、博打が行
われていた

疑いがあるとの、解釈を取るということで
ある。なお両者に、間の中国を抜きにした
直接的な

伝来元、伝来先の関係は無いと今の所見る

事にする。
 冒頭で紹介した成書を読む限り、
中国で、日本の地理等について、ほぼ正確
な把握ができたのは、唐王朝の時代と理解
できる。それまでは、

元々”倭”は周辺民族を、”ひとからげ”
で、漢民族が蔑称していた名称だった。

つまり、日本が韓国の東に有っても、雲南
省に有っても、どちらでも良かったのであ
る。遣隋使を派遣して、挨拶をして来た事
だけが、重要なような書き方だ。日本人の
性格等の記載は、雲南の倭族のコピー・ペー
ストのような挿入の仕方だと、見ようと思
えば、確かに隋書の、問題の部分の記載は
見える。
 なので、隋書が”倭”と称したときには、
余り個別の民族を、正確に把握しようと言
う、気持ちの無い言い方であると、理解で
きるように、私には読み取れる。
 特に隋代以前は、中国人が雲南の異民族
を”倭人”と称して居た事が多いという。
だから近世まで、雲南の少数民族で残って
いたとされている刑罰の仕方や、暑いので
裸になると、こんどは殺風景なので、体に
刺青を入れていた等が、倭人の習慣として、
書かれているように見える。そこで文脈の
その記載の周辺では”ひとからげ”で、
記載のコンタミが起こっている疑いがある
と、強いて読めば読めるようである。
 実は、”日本人が囲碁を指す”との旨の
隋書の記載には、文書の段落構成からみて、

雲南の少数民族の習慣と合う、習慣部分の
近くに書かれている。

だから、記載のごちゃごちゃ化が、一層疑
われるようである。
 よって、定説では確かに、相当前に出て
くる、朝鮮半島の向こうにある、国の固有
名詞としての”倭国”に掛かるように見え、
囲碁、盤双六、博打が日本で行われている
ように、確かに隋書に記載されてはいるが、
前段の文と刺青の紹介部分が、

雲南民族の習慣のように読めるため、
本ブログでは、囲碁は六詔時代には、
南詔時代と違って、雲南ではまだ、打たれ
ていた疑いがある事を、意味している

と、以降は取る事にしたい。
 出土史料としては、藤原京の碁石が著名
だが。六詔時代には、日本と雲南省とで、
どちらも碁を打ったので、釜湯での中に手
を入れて、やけどしなければ、無罪という
刑法や、刺青をしているという、雲南の
少数民族の習慣の記載を、余り注意せずに、
間違えて持ってきた後に、囲碁の習慣を記
載している疑いを、本ブログでは一応持っ
ておくという、以上は結論である。
(2019/10/18)

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