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11世紀中迄象棋無ミャンマーから雲南伝来の謎(長さん)

少なくとも伝説なので、定かでは無いのだが、
ミャンマー象棋のシットゥインは、アノーヤター
王が、モン族の都市国家の、ペグー(=パゴー)
及びタトン(ペグーの100km東の、兄弟国
家)を征服して、モン人を捕虜にして、ゲーム
を、領地内でさせるようになった時に、発生し
たという事になっている。
 所が本ブログでは、同じモン族の居住地、
ペグーないしタトンを経由して、パガン(地名)
→ピュー(国家名)→南詔国に、プロト原始
平安小将棋(8升目で、玉、金、飛車、桂馬、
飛龍動き駒が要素で、ポーン3段目、兵3段目
成りの取り捨て型)が西暦775年頃に伝来し
たと述べてきた。アノーヤター王伝説は、西暦
1050年程度だから、捕虜にしないのに、
275年も前に、ミャンマー人より雲南人の方
が、早く将棋を知りえたことになる。

どうして、雲南では知られている、”タトンの
将棋”が、275年間ビルマ内の、パガン王国
では知られていなかったのか

を、今回は論題とする。
 最初に、いつものように回答を書く。
 伝説が無いだけで、モン人と同じく、ミャン
マー人も、西暦775年~1050年の間にも、
将棋は指していたと思われる。別のバージョン
のゲームのカテゴリーなので、

シットゥイン史として、単に語られないだけ

である。では、説明を続ける。
 ミャンマーとインドは隣国で、

ガンジス川を下って、タームラリプティから
その船のままで、ペグーなりタトンの港へ行
けば、交易品の輸送はそれだけの事

である。また、インド~イスラム帝国間も、

インド・カナウジから西へ行き、マトラーを
へてカズニーへ行けば、イスラム・アッバー
ス帝国領内

だ。その他、スリランカ経由の海路もある。

マウカリ朝のカナウジで、インド二人制古チャ
トランガが、西暦625年頃発生すれば、

インド将棋は西暦650年には、タトン等到着。

イスラムアッパース朝で、イスラムシャトラン
ジが西暦750年に発生すれば、

シャトランジは西暦775年にはタトン等到着

というペースだったとみるのが自然だ。
 だから、アノーヤター王に捕虜にされるまで、

ミャンマーに将棋が無いわけが無い。

そもそも、
捕虜にされるまで、遊戯に過ぎない将棋を、

交易民族の商人が、門外不出にするわけが無い。

伝説だから、筋書きは不思議と感じても変えら
れず、その通りに後に伝える事だけが大切たっ
たので、そのままなのだろうが、話の内容から
見て、

この伝説は明らかに、前段が大きく抜けている。

 実際には、

シットゥインとして、タトンの将棋が確立した
時点で、歴史が始まる方が、聞いている相手に
理解しやすいので、不自然な話へ作り変えた

だけだと、私は解釈する。
 実際にはタトンやペクー(パゴー)の将棋は、
西暦650年に発生したと見る。そして、
西暦650~700までインド古チャトランガ。
西暦700~770まで兵相手陣最奥成り、兵
3段目配列インド古チャトランガ。
西暦770~780まで、兵相手陣3段目成り、
成りは初期位置駒から、大臣へ変更。兵3段目
配列インド古チャトランガ。
西暦780~900、兵相手陣3段目成り、
兵3段目配列イスラムシャトランジ。
西暦900~1000、兵相手陣3段目成り、
兵シットゥイン配列、象は角行も検討の上で
銀将動きに決定した、イスラムシャトランジ。
西暦1000~1050年頃は兵シッケチュウ
成、兵シットゥイン配列、象が銀将動きの
イスラムシャトランジ
西暦1050年頃:成り兵の副官(シッケ)は、
アノーヤター王の宗教改革で、1個に限定され
た、プロト・シットゥイン(固定初期配列)、

等に、変化したのでは無いかと、私は疑う。
なおモン族が、タトンやパゴーに都市国家を
形成したのは、西暦820年の少し前とされて
いる。のでその前は、インド・バルダナ朝
および、その後継の戦国国家と、先行してミャ
ンマーに存在した、ピュー王国間の、情報・
文物の運び屋の働きをする海岸沿い民族として、
彼らは存在していたのであろう。
 そしてこの間、西暦770年頃に、地名の
パガン経由で、ピュー王国に伝えたバージョン
が、プロト原始平安小将棋(香車が飛龍、
歩兵がまだ、ポーンの宝応将棋)そのもので
あったはずである。その際に、
雲南で西暦730年頃に成立した、南詔王に、
王を金将、大臣を銀将に変えると、兵が早
銀将成りして、鉱山王国での評判が良く、
その変更をした上で、ピュー国から南詔国へ、
再転送されたように、私には推定される。
 なお、ピー王国作成のビルマ暦は、
平朔平気法と聞く。星座は、西山峰雄氏から
昔、中国官組織星座とは全く違う、動物星座
だと聞いている。将棋へのブロッキング作用
は、ピュー国にも、無かったと見られる。
 またその後、西暦900年ころ、象(上将、
酔象)を、角行動きにするインド発情報も、
同じルートで雲南にも入ったのであろう。
 何れにしても、ミャンマー国内居住の
モン族が、タトンやパゴーで、アノーヤター
王が出る前から、当然将棋を指している
はずなのに。

征服されて、モン族がタトン等からパガンへ
移ると、ミャンマーに象棋が忽然と発生する
という話が、おかしい事だけはどう見ても確か

だと、私は疑うのである。(2019/11/10)

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