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漢代のこぐま座アルファー星の赤緯の観測精度(長さん)

以前述べたように、本ブログでは、囲碁盤の
線数が17から19に増えたのは、こぐま座
アルファー星の赤緯が85°を越えたので、
星図に準えた、赤緯90°線(メルカトル図
法で言う極点の無限大引き伸ばし線)が、
不足した為ではないかとの事だった。
 薮内清氏の平凡社、中国の天文暦法
(1969)に、西暦前100年頃成立の、
恒星の位置表である、唐代開元占経に実際に
は記載された前漢王朝期の石氏星経の、
こぐま座アルファー星の赤緯値について、
最近私はチェックした。この星表の観測精度
は、実際にはかなり低いと、薮内清氏の成書
から聞いていたからである。つまり事実とし
ては、こぐま座アルファー星の赤緯は80°
より低いのだが、観測誤差が大きいと、漢代
の観測実測で、85°を越えてしまうのでは
ないかと懸念されたので一応調べたのである。
しかし、

西暦前100年でも中国天文道のレベルは高
く、角度の1.5°程度の精度なので、心配
無さそうであった。

実測値はこぐま座アルファー星の赤緯の文献
値は約79°、計算すると約78°で、今の
北極星の赤緯は、1°位の精度で、漢の天文
方の(伝)石氏に測定されていたようである。
 他方、こぐま座ベータは、天一星と呼ば
れていたらしいが、測定するときに、石氏は
エラーしたらしい。

石氏はしくじったのか、または何かあって、
薮内清氏が”天一星”を、自書のリストに
加えなくなってしまう理由が有った

ようだ。
 が、計算値は82.5°前後のはずなので、
西暦前100年位には、まともに計れば81°
から84°に収まり、やはり北極星は存在し
ないはずである。だから17線盤の囲碁盤で、

”天の鏡である囲碁”には間に合っていた

とみられる。
 なお、元データでは、webの情報では、
天一星は、78.8°になっていて、天帝星
(こぐま座ベータ星)とは、確かに全く合っ
て居無い。天一星は、太一星(太子星、こぐ
ま座ガンマ星)と、赤経が、実際にはかなり
違うはずだが、離れているのに適当に、くっ
付けたように見える。更には、2つの星共に、
赤経自身も180°近く違う感じだ。そして
ペアの太一星の方の数値を、唐代の書写復刻
書で、太一星から天一星へ、数値を流用して
適当に記載しているように、私には見えた。
 また同じサイトによると、石氏星表の中で、
りゅう座7番星らしき星が、赤緯81°に
なっているとの事だが、他に赤緯が80°を
越える星は、115個程度の、この星表の
輝星表には無いと言うことだ。だから、

前漢後漢遺跡からは17路囲碁盤が出土する

のだろう。
 しかし、西暦前550年位まで遡ると、
天帝星の事とみられる、こぐま座ベータ星
は、赤緯が84°より高くなるので、

孔子が囲碁を打ったとすれば誤差を考えると、
囲碁を、19路盤にしていた必要がありそう

だ。やはり、孔子の囲碁打ちの伝説は、その
点でも別のゲームの事ではないかと私は疑う。
 ちなみに、もともとは鉤陳星等と称された、
”こぐま座アルファー星”が、歳差のため
赤緯83.5°線を越えるのは、西暦800
年位であるのも、何度調べても、間違いなさ
そうだ。唐末~宋の時代に、見た目でも、
こぐま座アルファー星が、真北に止まって見
えるようになってきたので、赤緯90°線に
対応する線の無い

囲碁の17路盤は、その期間に19路盤に変
えないと、恒星天文道とは対応しなくなった

と私は思う。なお、中国で歳差が確認された
のは、五胡十六国時代の東晋王朝からだから、
”事態”は、その時点で、予測できたと見ら
れる。
 19路盤が少し早めに見つかるのは、その
せいだと考えるとツジツマは一応合っている。
又移行期間が有ったので、チベットに唐代伝
来と推定されている、17路盤が存在するの
も、不思議とまでは行かないのだろう。
 ようするに中国で、天球の赤緯は90°ま
で有る事を、繰り返し教育しながら、移行期
が長い事や、代替わりを利用すれば、囲碁の
ヘビーゲーマー等から文句が来ないように、
囲碁の盤路の数は、変更出来たのではないか
と、私は考えているという事になるのである。
(2019/11/17)

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