SSブログ

何故チベットでイスラムシャトランジが指された(長さん)

本ブログは、梅林勲氏同様、チベットの古象棋
はイスラムシャトランジであり、現行は西洋
チェスの事になったと認識する。
 ところで本ブログの今までの、囲碁史論によ
れば、チベット暦が定朔である事からの類推で、

吐蕃国では、囲碁が打たれた

はずである。囲碁が打たれると、イスラムシャ
トランジは、

出来の悪いゲームとしてブロックされるはず

なのに、チベットではイスラムシャトランジが
指された形跡が、残っているのは何故なのかを、
今回は論題とする。
 回答から書く。

吐蕃国が北宋代には衰退して、チベットは
戦国時代に入り、

囲碁を指すように暦作成の立場から、下級役人
に強いる、

王朝自体が無くなったため、19路囲碁は余り
しなかった

からだと考えられる。
 では、論を続ける。
 現在囲碁に関するチベットの史料は、17路
の囲碁盤が著名であり、清水康二氏が、自身の
2017年の明治大学学位論文で、

吐蕃の時代のものだろう

との旨述べていると、私は解釈する。そして、

本ブログも、その解釈で正しいと考える。

だから、19路に遅くとも中国の北宋王朝時代
に転換した頃、10世紀に吐蕃国の衰微した

チベットでは囲碁は衰退した

と考えるのが自然だと私は思う。原因は唐に習っ
て日本同様、定朔の暦を、確立したとみられる
吐蕃王朝の暦担当者が、戦乱で居なくなったか
らだという事である。つまり、囲碁をやれと、
小役人にせっつく人間が、居なくなったからだ
と考えるのが、最も簡単だと私は考える。なお、
チベットでの次の統一政権は、17世紀と聞く。
 そのときには、巨大化した宗教教団王朝が、
中国古暦よりも、更にわを掛けて”日月星辰の
運行に則る”、インド古暦を導入したようだ。

もあれその結果、ほぼ北宋時代に、チベット
ではゲームの出来の、良し悪しに関する目は
失われ、イスラムシャトランジが定着

したのではないか。その後結局、中国中原の
中国シャンチーとは違い、チベットでは、たま
たま、中国シャンチーや、日本将棋のように、

民族独自で、出来のよいゲームが、近世になっ
ても運悪く、作れなかった

のではないか。その結果、今度はゲームの出来
の良し悪しに関する目が、囲碁盤を代々保存し
た近世のチベット王朝内では、少なくとも出来
ては来たものの、否それゆえの結果として、

必然的に、西洋チェスが近世になり、侵入した

のではないか。
 つまり、中国、朝鮮半島、日本のように、
その国の民族独自の象棋、将棋が

たまたま作れなければ、西洋チェス化する。

以上のような尤もらしい現象が、チベットでは
現に起こっているのだと、私は考えるのである。
(2019/11/18)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー