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何故チェス型ゲームは一国の中で分裂しない。(長さん)

チェス・象棋・将棋の類の史家は、ゲーム
が、どの国で指されたかを意識するときに、

囲碁や盤双六とは異なり、その国の里だけ
だとは通常考えない。

国境線以内で共通と、暗黙のうちに推定
している。その為、沖縄で中国象棋類が、
中世指されたという点が、将棋史では、
トピックになる。このような、厳密性は、
他のゲーム類では、奇異に見える習慣だと
思われる。今回は、この
チェス系ゲームに、国境線との相関性が強
い理由を論題にする。回答を書く。
今世紀に強くなった、軍事教練とチェスと
の関連性の強さの仮説が、やはり正しく、

チェスの駒の起源は、実際の戦争の、参謀
本部で使用していた駒の転用であるという
意識が、古代から有った為

だと、本ブログは考える。
 では、以下に議論を続ける。
チェス系ゲームは、他のゲーム種と違い、

遊戯具の駒の種類が、著しく多い。

そのために、

ゲームのバージョンが、夥しい数に分岐

する。しかも、個々のバージュンが指され
る地図上の領域の限界線が、国境線に相関
するという特徴がある。
 本来、人為的な取り決めであるため、や
はり分岐が著しい、

言語分布に見られない特徴

である。たとえば、チェス系ゲームには、

フラマン語とワロン語とドイツ語が、国家
を分断しているという、ベルギー王国のよ
うな例は余り無い。

日本ではかつて、大将棋と小将棋が2種類
指された事がある。しかし、どちらも、東
北より北には進出した形跡が無いし、奄美
以南に、どちらかが分布しているような事
も無い。
 前世紀には遊戯史の熱心な研究者に、当
時の勉強家が引きづられて、どのゲーム種
類も、似たような手法で取り扱われる事が
多かった。しかし今世紀には、どうやらそ
れでは、時代遅れになったようだ。
つまり、その強弱という点で、細かく捕ら
えると、

①賭博とのつながりは、サイコロ使用の盤
双六で最も大きい。また、お金が掛かって
いるせいか、ルールが極めて安定している。
②日月星辰の運行との関連度が最も大きい
のは、囲碁である。
③実際の戦争時の参謀本部の駒道具を、
遊びに流用したように見えるのは、将棋類
だけである。

という、①~③のような、遊戯史研究に
必要な要素に関する

意識が今より低かった。

将棋が盤双六系の、競争ゲーム盤を使用し
たものが、原初だという、四人制チャトラ
ンガ起源論が、比較的強かったからである。
 しかしながら、インドの彫刻に関する
見直しが大きかったと、本ブログでは見る
のだが、将棋が合戦を模したものであると
いう論が、今世紀に入って、世界的に強く
なったと、私は認識している。
 そのため、たまたま指された時代に、

敵国で指されているチェス系ゲームは、気
楽にそれで遊ぶのではなくて、神経を逆撫
でさせて、敵国情報を収集するような態度
で見た

であろうと考えるのが、自然になったとい
う事であると、少なくとも本ブログでは認
識する。
 従って、国境線の向こうでも、同じゲー
ムを気楽に指すとは、別のカテゴリーのゲー
ムと違い、チェス・象棋・将棋では、考え
られないのが実際だったのであろう。そこ
でそのゲーム種類が盛んに指された時代に、

その時代の国境線と強く相関して、特定の
チェス系ゲームが、指されたり、指されな
かったりするような現象

が、別のカテゴリーのゲームとは異なり、
チェス・象棋・将棋には存在するのではな
いかと、私は思う。たとえば、

現在日本でチャンギや中国シャンチーが指
されていないのは、西暦1200年時点で
も白村江の戦が、日本人の記憶に、はっき
り残っていたため

だと私は思う。またモンゴル国で、少し前
の、モンゴル人民共和国時代の国の範囲で、
中国シャンチーが指されていないのは、そ
の自然伝来がジンギスカンによる西域遠征
の頃であり、イスラム諸国も、少し後には
中国南宋も、敵国だったからに違いない。
 以上のように、普通の文化人類学の対象
とは異なり、軍事に関連する色彩を持つ
チェス系ゲームでは、その研究手法に、

国の中心地だけでなく、国境線という要素
を加味する必要がある

とみられる。そしてそれは、文化人類学全
体から見ると、かなり特殊な事情だと、私
には見えるのである。(2019/11/22)

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