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サマルカンドは出土駒使用時中国唐王朝支配地(長さん)

現在の定説によると、中国で出土した最も
古い駒は、北宋末期の中国シャンチー駒と
されている。が、よく考えてみると、

これはおかしい

かもしれない。8世紀中頃遺物で、使用は
7世紀末ではないかとされる、サマルカン
ド出土駒が存在するからである。すなわち、
中華人民共和国の領土に限らずに、歴代中
国王朝の支配地内を、中国国内出土と言う
事にしてしまうと、

サマルカンド出土駒が唐朝支配時代に近い

という意味である。この点については、前
にどこかで、岡野伸氏も指摘しているのを、
読んだ記憶がある。
 確かに西突厥期の、ペルシャのシャトラ
ンジ駒のようであり、実際の使用時が

西突厥が、唐に敗れるより前であるという
論を、完全には否定できない。

 しかし、使用してから、廃棄されるまで
の間隔が、たとえば60年が30年だと、
唐時代になってしまうという話のパターン
では、唐支配の時代の駒であるという論を、

完全に否定した事には、到底なるまい。

 ちなみに、サマルカンドが唐に、占領さ
れていた時代の方が60年前。その後、
西突厥が、唐・イスラム間の戦いで破れる
まで少し盛り返していたので、第2次
西突厥時代が、30年前の方だという事だ。
更に成立年代よりも100年ほど前に、更
に辿ると、第1次西突厥時代になるようだ。
 何れにしても、少なくとも遠征した唐の
将軍が、約1250年経っても出土するほ
どの、ペルシャ将棋の話を、本国に持ち帰
らなかったとしたら

かなり不自然だ。

 更にはそもそも、シルクロード上の話だ
としたら、情報がその後もどんどん、唐の
都には”何処にでも居る”ソグド人から、
都に入ってきそうものだと、私は考えるが。
 以上の事から、やはり私は、吉備真備が、
唐でゲーム情報を入手する努力を幾らして
も、インドやペルシャやイスラムの”後に
日本の将棋には、ならなかった”象棋の類
の情報に、唐の都では当時

絶対にたどり着けないと言い切るのは、
かなり危険な事だというのは確か

ではないかと、考えるのである。(2019/11/25)

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