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元王朝時代に中国シャンチーが有った証拠(長さん)

現在、南宋時代に関し、中国シャンチー
出土史料が複数あり、明王朝時代に、中国
にシャンチーが有った事は、日本広記の、
日本将棋に関する記載を読めば、逆に存在
は推定できる。
 では、もし無いとすれば、中国シャンチー
が、現に中国シャンチーは存在するので、
おかしいのではあるが、

真ん中の元王朝時代に、中国シャンチーが
存在した史料類は何か

を、今回は論題とする。
 回答を書く。

ざっと見ても、簡単には見つからない

ように見える。
 では、論を続ける。本ブログの、これま
での論によれば、

モンゴル帝国の時代、旧モンゴル人民共和
国内では、チェス系ゲームは全く無かった

と推定されている。現在の中国人民共和国
の領土内と、恐らくベトナム等で、

民間レベルで、中国シャンチー系のゲーム
が存在したとみるのが自然

である。本ブログでは、元王朝内では、
中国シャンチーは、戦争の相手のゲームと
見られたため、恐らく指さなかっただろう
と考える。
 それに反して暦学は、南宋の時代より元
代には大いに発展したので、囲碁は元王朝
宮廷内でも、大いに打たれたと予想する。
この時代の代表的著作物が、”玄玄碁経”
だと、私も認識する。
 つまり旧モンゴル人民共和国と、中華人
民共和国との間に、当時は実質的な国境線
が無いにもかかわらず、チェス系ゲームの

相が別だという珍しい現象が起こっていた

可能性が高いという事である。
 よって、

調査する事には、意味があると見られる。

 しかしながら、南宋までの出土史料は、
日本で多くの紹介例が有るが、それ以降の
ものは、

余り紹介例が無い。

 岡野伸氏の自費出版書”中国の諸将棋”
(改訂版 2018)でも、元王朝中期
時代に関する情報は、無いようである。
なお、南宋時代から元朝の草創期成立の
”事林広記”については、上記岡野氏の
著書でも記載されている。
 web上でも、総じて元王朝時代の
中国シャンチーの記録は、飛んでいる。
 間接的でよければ、
普通唱導集の大将棋の唱導唄の第2節最後
で、桂馬で仲人を支える手が、中国シャン
チー的であるから、西暦1300年より

少し前の元王朝初に、中国シャンチーが、
どこかに、存在したらしいとは、言える

のかもしれない。が、はっきりした話かど
うかという点で、疑問の解明には、ほど遠
い感じがする。
 元王朝期が、中国シャンチーにとって
後ろ向きな時代だとすると、日本へ、それ
が侵入して来る度合いに、当然影響が出る。
ので、日本の将棋史の解明にとっては必要
になる情報だが。どうも、挙動がはっきり
しないようなのが残念である。(2019/11/27)

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