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南宋三国象棋よりシャンチーの疑いは晴れないか(長さん)

本ブログでは、西暦1200年前後に、
中国シャンチーは、日本へ自然漂着した。
が、日本人は、シャンチーの帥・将軍は、
唐連合と任那の戦いを表現していると考え、
警戒して指さなかったと推定している。
 だが、中国象棋の歴史書によるとその時
代、三国象棋が有って、中国象棋は、

中国国内の戦争を模したものであるとの示
唆がある

とされている。三国象棋が魏、蜀、呉の3
軍である事は明らかなので、その類推から、
日本人が、中国シャンチーは、漢と楚の争
いだと

考え直して受け入れる事は本当に無かった

のかを、今回は論題とする。
 回答を書く。西暦1200年頃南宋から
三国象棋の情報は、朝廷には入った可能性
はある。がそれでシャンチーのイメージは

変わらなかったので、象棋は指さなかった。
娯楽小説の中に出てきた、架空のゲーム

と考えられたとみられる。
 では、以下に論を進める。
本ブログにとって今の所、岡野伸氏の自費
出版書”中国の諸将棋”が、南宋時代の方
の、三国将棋についての情報の、全てであ
る。それによると、元出典は以下の通り。
まず①南宋の晁公武が著した”郡斎読書誌”
の15巻の中の1巻を使って、”三国図格”
という表題で、三国象棋(南宋版)を、
紹介しているとの事である。また、②南宋
時代の陳振孫が著した”直斎書録解題”
の第14巻に”三象戯図”を載せているそ
うである。
 以上の事から、

②”直斎書録解題”は、単に初期配列図が
あるだけ。

①”三国図格”は、歴史小説等の中で、
三国象棋の話を、単に登場させただけのも
のの、更に解説書と書名からは推定される。
 私は原書に当って居無いが、朝鮮チャン
ギのように、”郡斎読書誌”の中に紹介さ
れた”三国図格”で、玉駒が魏・蜀・呉と
表現されていて、現中国シャンチーの、”
漢界楚河”を、連想させているかどうかは、

かなり疑わしい

と私は思う。
 漫画”こちら亀有公園前派出所”の四人将
棋のパターンといっしょで、娯楽小説等の
中で、三人象棋が、キャラクターとして出
てくるというのが、①と②で共通な感じが、
私にはする。

実際に存在するゲームという感覚が乏しい

のではないだろうか。玉駒も、岡野伸氏が
所蔵している、国名が七国将棋の玉駒のパ
ターンとなる魏、蜀、呉ではなくて、原書
では曹操、劉備、孫権等と、紹介されてい
るのかもしれないと、私は疑う。よって、
少なくとも、出典からみて、これらの原書
を見た、日本の朝廷の貴族が、

中国シャンチーのモデルは、唐/倭の戦い
ではなくて、漢/楚の戦い等であると考え
直す事は無かった

のではないかと疑われる。
 それに加えて、少なくとも岡野伸氏の
著書の、南宋版三国象棋の図を見る限り、
中間の三角升目領域で、兵卒と馬がどうい
う、駒の動かし方ルールになるのか、少な
くとも私にはよく判らない。ので、

こんなゲームはあるはずが無い

と私には思える。
 よって以上の事から、南宋時代の中国の
三国象棋は、清朝時代の三友象棋とは異な
り、単に紙に書いただけの、象棋ゲームの
作り話、なのではないだろうか。
 だから、唐物の蔵書が潤沢な日本にも、
”郡斎読書誌”も”直斎書録解題”も、
西暦1200年頃には輸入されていて、
少なくとも平安末期から鎌倉草創期の貴族
には、中国シャンチーの変形として、三国
時代の中国を模した、象棋の話があるとい
う事が判ったのかもしれない。しかしそう
だとしても、そのようなゲームを頭の中で、
実際には無いのに、有るかのように考える
事は、中国人にでも日本人にでも

空想としては自由に出来る。ので、実際に
中国に存在する、軍事の色の濃いと疑われ
た中国シャンチーの現実的用途とは無関係

と、日本人全体への影響力の強い、知識階
級に、はねつけられた疑いが、強いのでは
なかろうか。以上のようにやはり私には、
疑われるのである。(2019/12/05)

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