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観光施設”天龍八部城”に雲南史料が匂う囲碁盤(長さん)

中国雲南省の大理市に、西暦2003年に完成
したという、テレビ映画のロケ地にちなんだ、
観光用の城”天龍八部城”がある。そしてその
”大理王宮館エリア”との旨の屋外等に、囲碁
盤の壊れた形を造形にしたモニュメントがある。
またそれとは別に、19路聖目無しの囲碁盤の
展示物、詰め碁のモニュメント等が有ると言う
事である。
 これらの紹介は、web以下のurlの、”
たくせん氏のブログ”の西暦2019年08月
01日のページ、2009年09月07日のペー
ジ等にある。
エイチティティピー://takusen2.seesaa.net/
 ネットで調べてみれば直ぐに判るが、
”天龍八部”というのは、中国の今世紀初め頃
放映されたテレビの時代劇シリーズの事である。
 雲南省の大理市郊外に、映画ロケ地のテーマ
パークとして、娯楽施設が近年出来、観光客が
訪れている場所の、以上は造形物の話である。
 そのテレビ時代劇シリーズの中で”宋代大理
国の時代に、大理国の貴族も囲碁を打つ”とい
うシーンが、

一回出て来るそうだ。

私が知る限り、中国雲南省付近に大理国の時代、
囲碁が存在した、唯一の証拠(?)である。
 なお、中国雲南省大理市の天龍八部城は、そ
の天龍八部という時代劇全体に因んだものであ
る。だから、映画の中にはこれとは別、設定が

7世紀の”武媚娘傳奇の碁”という一幕が有る

らしい。こちらは雲南省の話ではない。後者
については、前記たくせん氏の詳しい解説があ
る。碁笥の置き方が左右逆。4子の置き碁が無
い等、たくせん氏のこのシーンに関するチェッ
クは手厳しい。この場面に出てくる囲碁盤につ
いては、更に

聖目が9星だが、7世紀の中国なら4子前置き
しやすいように、5星が今のところ正しいであ
ろう

と、本ブログでも追撃を加えておこう。
 なお、たくせん氏は、日本人のようである。

よって、大理国の貴族が囲碁を打ったという話
も、充分な時代考証をした上での話では無い

と、特定される。なお、たくせん氏も、役者の
碁の打ち回しが尤もらしかったと褒めているが、
”大理国貴族が、宋代に打ったはずの碁”の
歴史的内容について、特に言及は無い。
 また雲南省の観光施設”天龍八部城”には、
雲南の城の館等が有る。その近くの庭に、囲碁
のモニュメント等が有るらしいが、それらを置
く等に当って、大理国で囲碁が宋代に打たれた
史料が、実際にあるかどうか等との旨の、

雲南省博物館の指導等は、映画の時代考証の
レベルの低さから見ても、どうやら無かった

事が推定できる。なおそれより少し手前の所に
”詰め囲碁のモニュメント”と、女流棋士の
来訪記念碑があるという事だ。また屋外の囲碁
盤破片モニュメントの傍に建つ館、その中には
別の小型の碁盤、以上があるらしい。これらに
ついても前記たくせん氏のブログで、写真や、
内容が紹介されていた。
 野外の壊れた囲碁盤モニュメントが最も有名
なようであり、別の中国人の観光客が撮った写
真も、web上に何枚か出ている。
 特に屋内展示品については元史料の存在を、
今回の本ブログの表題のように匂わせている。
この囲碁盤は実物大で19路で、聖目は無い。
これがどんな出土史料と、実対応するのか、

私には、別のページで調べても確認できない。

察するに、近年大理市付近に、囲碁具の製造メー
カーが進出したので、このようなものが存在す
るのではないかと、私には疑われる。
 以上のことから、囲碁が雲南省に宋代の大理
国時代にあったとする物的証拠は、今の所こう
した、近代の観光用のモニュメント程度しか、
無いらしいと判る。
 雲南省の観光施設での、モニュメント類の内
容からみて、そこには

北宋の頃に、雲南省大理市付近に囲碁が有った
のか、無かったのかという点に関して、意味の
有る情報が含まれないようだ。

以上のように、たくせん氏の、番組ロケ記念施
設”天龍八部城”に関する彼のブログでの解説
から、私にもようやく状況の理解が、できるよ
うになってきた。囲碁の強い方が、実際に雲南
省大理市を訪れた記録が、web上に有る事は、
とてもありがたい事だと思う。(2019/12/07)

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