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日本人は中国雲南省が牛の国なのを何で知ったか(長さん)

本ブログによれば、後期大将棋等の猛牛は、
牛の国と、牛相撲のタケル牛とのひっかけと
いう事になっている。後者については、思い
つくのは自明だが、前者については、そう
だとすると、当然

中国雲南省が、牛の多い地域の小国家、
牛の居るムアンの群であるという事が、元代
13世紀に、日本人には知られていなければ
ならない

事になる。西暦1250年~1300年には、
日本と元王朝との間で、交易があったが、交
流は敵対国家間なために、新安沖沈没船の船
員のように、いつも上陸して、自由に見聞が
出来たのかどうか、不明な状態だったとみら
れる。にも係わらず、もとの大理国の領域、
すなわち中国雲南省に牛の国がある事を、何
で知ったのか。またそこから、本ブログによ
れば、将棋の伝来元にひっかけて、大将棋の
牛駒を、猛牛という名称にできたのか。
 また猛牛駒は、中将棋が発生したとき頃に
成立したとみられる、猛豹、悪狼、猫叉の
西暦1320年頃成立の約70年前、西暦
1250年頃と見て、本当に間違いが無いの
かを、今回は論題とする。回答から書く。

間違いないとみられる。
平安時代末期までに、中国より唐物書籍の
一つとして、『太平寰(かん)宇記』

が入っていて、その書籍の雲南省記載部分か
らの情報で、タイ族のムアンで、牛が名物な
のを知ったとみられる。
 では、以下に論を続ける。
 本ブログによれば、西暦1260年時点の
大将棋の2段目配列は、
反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、空升、酔象、
空升、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車の、以
上13枚という事になっている。このうち、
飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、の4枚のうちの2
枚、飛龍と猛虎は、西暦1300年までの、
二中歴の成立期までに成立。反車も、行き所
が不明確なので、奔車を変えたものであり、
基本的に飛車が加わった、鎌倉時代初期、西
暦1230年頃の成立と、ここでは見ている。
 それに対して嗔猪と猛牛は、この中ではよ
り遅く、成立は西暦1250年頃と見ている。
少し前に、酔象が復活して、元々そこに有っ
た横行を3段目の端から2列目へ、追いやっ
た後との見解である。
 しかしながら、後期大将棋の、悪狼、猫叉
は、西暦1320年頃の、鎌倉末期に悪党が
跋扈した時代の成立。猛豹も、本ブログの認
識では、猛将の洒落であり、同じく西暦13
20年以降成立と見て、更に遅くなっている。
 嗔猪は、普通唱導集の大将棋の唱導唄第2
節に、仲人等と組で現われ、1300年頃初
出なので、万葉集の嗔猪(いかりい)からだ
と、私は思うが問題は無い。唄われて居無い、

猛牛だけが、問題

になるのである。傍証としては、十二支有り
の別尊曼荼羅の大威徳明王図と、配列が対応
するのが見えているので、牛駒が入る所まで
は、尤もらしいというのが、本ブログの、
これまでの説明だった。
 しかし、雲南省から日本の将棋が来た事に
ちなんで猛を付けて、猛牛にしたと言うには、
雲南省にタイ族のムアン(猛、正確にはイ族
漢字で孟ヘンに力)が有り、そこに牛が特産
品として存在するという、

世界地理の知識が必要

である。問題はよって、当時の日本人に、
中国雲南省の白衣蛮居住区付近に関する地理
的知識が、有ったのかどうかという事になる。
 そこで本ブログでは、少なくとも日本で
11世紀から12世紀にかけては、

はぶりが良いので、唐物として北宋・南宋の
書籍は、中国からどんどん輸入していた

という事実に着目した。
 根拠としては、

日本にしか、太平御覧の1000巻のうちの、
945巻が現実、世界の何処にも残っていな
かった

という事実が挙げられる。また本ブログでは、
平安大将棋は、太平広記の、玄怪録『岑順』
が、西暦1110年頃、日本の陰陽寮で参照
された結果の、横行の2段目中央配列なのだ
ろうという事になっている。つまり、日本に
太平御覧の945/1000巻、太平広記も
相当巻ある事が推定できるから、同時代の
太平寰(かん)宇記の200巻中の、中国雲
南に関する、南蛮夷の記載が、日本へ唐物と
して輸入された、書籍の中に当時から在ると
見て自然だと言う事になるのである。
 恐らく太平寰(かん)宇記は、12世紀の
中頃までには、日本に有ったのであろう。日
本の朝廷等では、一頭から肉が、600キロ
グラムもとれる牛が、雲南省にはそこらじゅ
うにざらに居るというような

話は、平安時代末期までには、知られていた

と言う意味である。
 だから、猛牛という駒は、もし必要なら、
実際に作られたとみられる、西暦1250年
の、約100年前であっても、平安時代の
高級貴族層レベルならば、日本の将棋の伝来
元が、少なくとも本ブログによれば、中国の
雲南の、大理国王侯貴族である事にひっかけ
て、必要な牛駒に猛牛と命名する事は、充分
に可能だったはずである。
 以上のように、私には猛牛という駒は、
中国北宋時代の唐物貴重書”太平”シリーズ
の一つ、地理・民族事典書『太平寰(かん)
宇記』の中の、雲南省の大理国周辺の、地理・
少数民族に関する知識がもとだと、思えるの
である。(2019/12/08)

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