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朝鮮半島の古囲碁”巡将碁”の囲碁盤は地理図(長さん)

本ブログでは、囲碁盤のモデルは、メルカトル
図法で表現した半天恒星図と述べている。この
考えは、現在の国際試合ルールの碁、日本の碁、
中国古代の碁については正しい。なぜなら、

碁石を最後まで動かさず、星座の形が保たれる

からである。アゲハマを使って勝敗を決定する
という内容だが、これは領地の計算をすばやく
するための、計算方法の工夫の意味に過ぎない
ように私には見える。
 国際試合ルールのように、境界線の石と内部
の地を数えているのと、対局中に白・黒置石が、
偶数手で止めれば同数である事を使って、アゲ
ハマで後集計している日本方式等は、

本質的に石形を特に変形させようとしていない
という点で、互いにいっしょのゲーム種

のように門外漢の私には見えると言う事である。
 それに対して、表題の朝鮮半島の古囲碁、巡
将碁は、

ゲームの目的が、微妙に違う。

”閉領域を作り、石に囲まれた地の目数が、結
果としてより多くなった方が、勝ちというもの
だからである。

投了後に石形を変形して飛び地が複数有る、地
上の領土のような形にする事を前提にしている

ので、日本の碁や中国の碁とは違うと私は思う。
 しかも、この巡将碁のゲームの目的(終端条
件)は、

囲碁盤を天文図というよりは地理図と見ている

とみられる。
 よって、このゲームが囲碁の始原だとすると、
本ブログの論に対して明らかに、

破壊的である。

では、朝鮮半島の巡将碁の、最後に閉鎖領域に
局面を作り変えるルールの存在で、

”囲碁盤は半天恒星図が元”との本ブログの、
これまでの論が、破壊されないのかどうか

を今回は、論題とする。
 回答を書く。

破壊されない。

朝鮮半島の巡将碁は、7世紀の

東大寺の正倉院の木画紫檀棊局が、最古の史料。

そのため、囲碁そのものの発生、遅くとも西暦
前100年より、

ずっと新しく、

巡将碁から少なくとも古代中国碁が分岐したと
は考えにくい。
 そのため本ブログの、囲碁が中国古代天文道・
暦道との間に強い相関があるとの説を、少なく
とも完全に破壊する要因になるとは考えにくい。
 では、以下に論を続ける。東大寺の正倉院の
”木画紫檀棊局の成立が、巡将碁の発生時期と、
いっしょである”という説も有り、

韓国の安玲二と日本囲碁の日本棋院所属の林裕、
日本の囲碁ライターの大島正雄

が、その説を採ると言う。一例では、NHK
出版、西暦2000年、”コミック 奥義秘伝
囲碁3000年”大島正雄等著で、大島正雄氏
自身が、その旨記載している。二番手史料は、
更に新しくなるのであろう。根拠は木画紫檀棊
局には特に、アゲハマを置く工夫が、見当たら
ないからのようである。
 従って巡将碁が、それより遡る事が出来ない
とすれば、今の所、

本ブログの囲碁盤の本質論と、露に矛盾する
情報では無い

と、結論せざるを得ないと、私は考える。
 よって巡将碁以前にも中国に囲碁が有り、日
本にも、飛鳥時代の藤原京から碁石が出土して
いる以上、囲碁盤は西暦前100年より中国で、
元々は半天恒星図だったが、新作ゲームとして、
囲碁盤を地理図と見るような、巡将碁が朝鮮半
島で、後から出来たと考えるのが自然。また、
これ以外に各国ルールのカテゴリーで、本ブロ
グの論を破壊する可能性の有る、要因が特に見
あたら無い。だとすれば、囲碁の各国ルール関
連で、囲碁・中国天文暦道強相関説と、露に矛
盾する史料・情報は、今の所存在しなようだと、
考えざるを得ないではないか。以上のように、
私は思うのである。(2019/12/11)

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