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七並べ型に地札を並べる競技カルタと泰将棋配列(長さん)

以下、今のカルタ類の持札の”初期配列”に、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋配列が
関連するかもしれないという話をする。
 なお、私の認識では、今の特に格式と、ゲー
ムとしての公平性を重く見る、競技のカルタ
の七並べ状の地札初期配列(現行3段)は、
少なくとも原型が江戸時代、17世紀頃の
成立なのではないかと見ている。
 では、論を開始する。
 この問題を解く有力な史料は、歌貝カルタ
の形が、五角形である事と、ウンスンカルタ
の枚数やスードの構成等である。
 事実によれば、歌貝カルタは、貝合わせ
ゲームからの派生であり、盤升一辺が一年の
月数12にちなんだ中将棋を指す、主流
な階層とみられる、貴族の文化である。そこ
には、安土桃山時代の末期に、欧州から、
4スード48枚制の、ジャックが無いトラン
プというイメージに近い、ウンスンカルタが
伝来し、それで遊んだ跡があるとみられる。
 また、言うまでも無く、歌貝カルタは将棋
駒と同形の五角形で、関忠夫氏(日本の美術
12、遊戯具、西暦1968年)によれば、
地札の初期配列を、同心円状に並べたときに、
最も内側の円を、中将棋の一辺升目数と同じ、
12枚の歌貝カルタで形成するためだとされ
る。なお、歌貝カルタは、字が2文字しかな
い将棋駒に比べて、横巾が広い。そのため、
将棋駒型ではあるが、将棋駒と完全相似形で
はない。
 裾野の広がりがカルタの方が少し大きい。
将棋駒で同じ円形を作ると、12枚ではなく
て、22~23枚程度の、より大きな円にな
るようである。ただし成書の図版に、分度器
を当てると判るが、歌貝五角形札の裾野部分
の内角は、75°前後になっていて、確かに
約12枚で円が出来る形である。他方将棋駒
の方は、裾野部の内角は82°程度と計算で
きる。
 恐らくこうしてできた、歌貝カルタの形が、
今度は逆に将棋駒に影響し、長さや裾野の広
がりが、バラバラだった

将棋駒の形を、今と同じような相似に近い形
に近世に入ると、均していった

のだろう。
 以上の事から、歌貝カルタは将棋駒形であ
り、同じカルタ文化の、天正ウンスンカルタ
は48枚で、

12×4は、中将棋の自陣四段配列と類似形

である。しかも、ウンスンカルタはその後、
75枚5スード制に17世紀に進化したとさ
れる。が、それも

15×5が、後期大将棋の自陣5段配列と
類似形

だからなように、私には思える。貴族や上流
階級は江戸時代には、余り指さなかったが、
後期大将棋が15×15升目で、将棋駒の初
期配列が所定の形である事自体は、よく知っ
ていて、新式のウンスンカルタの形を、支持
したようである。

なお、現行の日本将棋は自陣3段である。

 以上の事実からカルタを指す貴族には、駒
数多数将棋では、盤面にぎっしり駒を並べて

隙間を余り造らない配列である

というイメージが、

事実とは合っていない

が何かを根拠として有ったようである。

①歌貝カルタを将棋駒形に類似させている事。
②4段や5段に七並べ型にスードごとに数の
順番でカードを並べると、ウンスンカルタの
バージョンによって中将棋、大将棋初期配列
に類似になるというパターンは、座りが良い
というイメージが、江戸時代に有る事

以上の①と②の組合せで、初期配列で隙間の
無い、仮想の将棋が想定されていると言える
のではないかと、私には思えるからである。
 では、そのようなイメージが何処から来た
のかと言えば、ウンスンカルタ自体が伝来
した、ちょうどその頃に成立した、

水無瀬兼成作と本ブログが見る、泰将棋の初
期配列の姿のイメージが大きかった

のではないかと、私は推定する。水無瀬兼成
が、実質的貴族である豊臣秀頼用に納入した、
354枚25升目制の新作将棋の壮大な駒配
列が、新作ウンスンカルタの枚数構成や、競
技用カルタの地札の正式な初期配列、貝合わ
せの変形品である歌貝カルタの形等を、近世
に入ると、逐次作っていったというのが、順
序として、尤もらしいように、ここでは見る
からである。
 逆に言えば、駒師の一人に過ぎなかったは
ずなのだが。近世の上流階級の遊戯の全体的
な形を決める、実質的な権威者になり得る、
何らかの理由と、有る程度の能力が、

水無瀬兼成という個人に、元々存在していた

事は確かなようだと、推定できるように私は
思えるのである。(2019/12/16)

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