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挟み将棋、回り将棋はいつ、何処から来たのか(長さん)

ものと人間の文化史23、将棋Ⅰ、増川宏一
西暦1977年の、202~203ページに
書かれているが、”子供の遊び”とされる、
挟み将棋、回り将棋は、起源も伝来元も謎と
されている。今回はずばりいつどこで発生し、
どこから日本に来たのかを、論題にする。

江戸時代文化・文政期より少し前に、ロシア
人を含む、日本の華族の子息への教育者等に、
結果としてなった来日欧州人が考案し、日本
の上流階級の子息へ伝播した内容が普及した

ものと推定される。
 では、論を開始する。先行文献は、冒頭に
述べた増川宏一氏の、言及がある。なお、
これらの、児童用ゲーム内容について紹介し
たものは、ローカルルールの仔細紹介を含め
て、多数ある。ただし上記の2つのゲームに
限れば、出所を特定する議論の文献は、余り
無い。
 ヒントは、ロシアの4人制チャトランガの
将棋紀元説を取る、ユーリー・アウエルバク
が、四人制チャトランガの前段として、
ペティアとターヤムを、西暦1990年代に、
組で論じている点である。
 欧州では、この組で論じる遊戯史理論が、
西暦1790年にウィリアム・ジョーンズの
研究が発表されると、恐らくほぼ同時に、自
明の事として、確立したのではなかろうか。
 そのため、西暦1830年頃に、チェスの
歴史に関心が有って、18世記末の、
ウイリアム・ジョーンズのチェス起源論を知
る日本来日の、結果として日本の華族の子息
等の教育に貢献した、ロシア人等の欧州の外
国人が、日本の上流階級の子供なら日本将棋
よりもレベル・ダウンした遊戯が、お似合い
だと推定して、ペティアに似た挟み将棋と、
ターヤムに類似した回り将棋をセットで、

少人数で考案して子供にさせたのが広まった

のが、現在の将棋駒を使う挟み将棋と、端で
成ったり、戦闘も有る回り将棋の起源なので
はないだろうか。理由は個人的に、

挟み将棋と、回り将棋のどちらかだけ知って
いて、他は知らないという、地方が有るとい
う話を余り聞かない

からである。
 増川宏一氏は、挟み将棋が南北朝時代から
有る疑いがあるとの旨を、異性庭訓往来等と
関連付けて、将棋Ⅰの202ページに書いて
いる。
 が私は、このゲームの為にわざわざ、歩兵
の将棋駒を作るというのは、

へんな話だと思う。

南北朝時代には、碁石等を使ってペティア
類似の、別の挟み将棋型のゲームを、たぶん
したのではなかろうか。
 将棋駒と盤を使った子供ゲームは、象棋ゲー
ム盤に九宮が有る、中国や朝鮮半島から伝来
するはずはないだろう。そうならないのは、
発明者が、

日本に居たのだが形としては欧米起源だから

だと私は思う。ちなみに、幸田露伴以前に日
本人は、インドでの四人制チャトランガの存
在を知らない。
 だから、ウィリヤム・ジョーンスのチェス
起源論を知っていて、ペティアとターヤムを、
日本将棋のゲーム具と結びつけて、新ゲーム
を考案出来るのは、遊戯史に対する知識の有っ
た、江戸時代の文化・文政期の少し前に、

何らかの理由で、日本国内の何処かに居た、
ロシア人等の、欧米系外国人の、結果として
の上流階級の日本人子息に対する教育指導者
となった者としか考えにくい

のではないか。他方、西暦1830年成立の
嬉遊笑覧には”挟み象棋は碁石でする。回り
将棋は、日本将棋駒を使った、競争ゲームで
あり、18コマ分リードすると、もたもたし
た方が負けである。”との旨は書いてある。
が浮世絵等に、挟み将棋の姿や、回り将棋の
図が有ると言う話も、余り聞かない。また、
嬉遊笑覧の説明は、何故か、かなり雑である。
試作途中で、リークした内容なのではないか。
 よってこの事からも、冒頭の結論のように、
私は推論出来るのではないかと考えるのであ
る。つまり、21世紀の初頭の現在の、
”将棋は2人制チャトランガ起源”説とは異
なる、

18世紀末欧米の4人制チャトランガ先行説
に基づく、それの始原とされた古代ゲームを
改変した教育用のゲームが、今の挟み将棋と、
回り将棋の正体

なのではないかというのが、本ブログの現時
点での説という事になるのである。(2019/12/22) 

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