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インド囲碁不振理由はプトレマイオス業績の不在(長さん)

インドで囲碁が発祥したとしても隆盛しなかった
のは、大半の理由は、①西洋星座に近かったから
である。特に黄道付近は、線で結べば意味が判る
星座だったので、囲碁用語はイスラム圏同様不要
だったのだろう。しかし、新星や彗星の発見の為
に、黄緯の高い部分の星の配列を表現しようとし
て囲碁を導入していたなら、西暦600年前後
には、ゲームの出来に関する目が肥えてしまい、

そもそもインド古チャトランガは発生しなかった

とみられる。だいたい天体観測が盛んなら、新星
や彗星の存在に気がつくはずなので、インドでは、

古代中国、朝鮮、日本ほどには、天体観測をしな
かった

と推定できる。ここでは、インドで天体観測施設
が、中国文化圏やイスラム世界ほどには、盛んに
残っている形跡が無く、ひょっとするとインドで
囲碁が発生したのかもしれないが隆盛せず、他方
チェス系ゲームが発生出来た原因について、イン
ド2人制古

チャトランガが発生しても、間もなく廃れてしま
うという懸念が、無い理由を説明するために考察

する。まずは回答を書く。
②月の視位置挙動が、近地点が移動するケプラー
第2法則型である事が、
ヒッパルコスの理論が、4~5世記に導入され、
インドでは知られていた。そして大切な点は、

それで済むと考え、月の黄経運動についての不等
に関する恐怖心が薄かった為、天体観測が、それ
以上隆盛しなかったと考えられる

為である。
 では論を開始する。
インドの天文学は、科学思想の入ったものは嫌わ
れた。そのため、

ブトレマイオスの業績は無視された

と、本ブログでは見ている。ところで、

月の黄経の不等に関して”出差”を発見したのは、
ブトレマイオスである。

その結果、月の黄経の不等は、中心差と出差の2
成分と、プトレマイオス後は認識された。ところ
がインドでは、プトレマイオスの出差の発見は
考慮され無かったので、月の運動の黄経の不等は、
中心差だけであった。これなら、近点月を求めた
上で、ケプラーの方程式を一回解いて、黄経の
不等に関する”補正表”を作っておく程度なので、
平朔の暦から、中心差補正朔の暦を作れば良いだ
けだった。
 インドの月の運動論は、以上のレベルで止まっ
た。そのため、

出差による、実際とのズレに対する恐怖感が、
日本の藤原京時代のようには、生じなかった

と見られる。つまりなまじ、ソコソコ月の運動に
合う法則を、古代の西洋から入知恵されていたの
で、天体観測の必要性に関する観念と、それが無
い事による恐怖感が、

日本に比べて、小さかった

と考えられる。その結果、

インドでは、中国、朝鮮半島、日本ほどには、新
星や彗星を記録する、天体観測が発達しなかった

と考えられ、囲碁文化を、中国から逆輸入する
動きも、鈍かったのではないかと予想される。
 インドの旧暦は少なくとも現在は、太陽と月と
の間の黄経の差を1/12して、任意の日の24
時に置ける黄経差の1/12の数(但し0のとき
には、30にする。切り上げにすると、日本の旧暦
に合う)を、日付けにする程度に、月の満ち欠け
に厳密な暦である。
 しかしながら、その元になる計算方法は、少な
くとも古チャトランガが発生した7世記頃には、
月の軌道を”近地点が移動する、2体問題に関す
るケプラー運動”とみなす今述べた、中心差を考
慮して、出差、二均差、年差、月角差・・という
高次項は無視する程度に、単略化したものであっ
たと考えられる。そこで今の我々が、日本の国立
天文台の暦編纂室のサイトを読んでイメージする、

太陽が、朔望月+(朔望月-近点月)周期で月に
与える摂動を表現するために、出差の補正のため
の周点円を付け加えたようなケプラー楕円モデル

を使用したものでは、無かったと考えられる。
 出差に起因する補正は、気が付き出すと、朔日
を決定しようとする暦作成者には、3天体即ち、
地球、月、太陽の力学系を解かなければ理解でき
ない3体問題という内容のものなので、その神秘
性と複雑性(実は、未来永劫まで一般解を解くの
は無理)から、今から約1300年前の当時は、

非常な恐怖に駆られるようなものだった

と考えられるのである。
 なお太陽が原因だから、例えば朔や望のように、
朔からの位相角を固定すると、出差の挙動は、
朔地点の月の真近点角で決まるものであり、他方
一定の形の月は、朔日の真近点角との差が、互い
に別の日のものであっても、その数値が一定だと
いう性質のものなので、決まった月の形の所で、
月の位置を観測するだけにしてしまうと、出差を
繰り込んだ補正表が作れる事が、極めて熱心に、
天体観測を続ければ、判ったのかもしれない。
中国暦法でも結果としては、今述べた性質を使う
簡略法になっているようだ。
 が、月の位置観測は、朔は新月なので不能だし、

満月も明るすぎて、小さな星の光を消すので困難

だ。だから、月の黄経の不等に関する出差は、
いろいろな月の形の日のデータ同士をつなげると、
天体観測を続ければ、何れは発見できてしまうと
いう、目で見て判る性格のものである。
 なお、周期”朔望月+(朔望月-近点月)”の
出差というのはようするに、概ね数周期のサイン
カーブごとに、だいたい半年周期の、

AMラジオ波の、変調状うなり模様を作り出す
ための、少し違った周期のサインカーブの混ぜ
合わせという意味

での、数式上の付加的項という形だ。つまり、
楕円は180°回転すると、重なる図形だから、
太陽の引力は、半年事でだいたい同じ効果を
月の軌道に与えるという事が、特に目立つという
意味である。このページの上の方で書いた

付加的周点円とは半年毎に、楕円軌道の月軌道の
楕円を、潰したり膨らませたりしているような、
効果を与えるものというイメージ

である。これは、高校の教科書に書いてある、
惑星軌道の図とは、同じ軌道図でも違うものであ
る。同じニュートン力学でも、高校のは2体問題
である。
 よってインドのように、ヒッパルコスを取り入
れ、プトレマイオスを、たまたま取り入れなかっ
た事は、本当は複雑なのに気がつかず、月の軌道
に関して、今述べた高校の惑星軌道図の類似で、
精神的に満足できたという意味であり、

知らぬが仏で幸せ

だったと考えられるのである。
 インド人から現代の日本人は、余りに月の視位
置に無頓着な民族だと、日本人を知っているケー
スには、概ね下げすまされているようである。
 しかし、約1300年位前の我々の祖先は、月
の黄経不等の出差の存在に恐怖心を駆られる位に、
定朔の麟徳暦(儀鳳暦が日本名)対応のための、
月の視位置の観測を熱心に行ったのである。よっ
て今の我々も、日本の

国立天文台の暦編纂室の該当ページを見て考えれ
ば、状況は判る事

なので、太陽系の

惑星のケプラー運動の図は知っているが、より身
近な地球の月の軌道について子供に説明できない

という事が無いよう、自国の古代文明を自慢する、
現代インド人に馬鹿にされないように、お互い、
”民族伝来の常識”を身に着けたいものである。
(2020/01/02)

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