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滋賀県長浜市潮津港遺跡裏備品王将駒は何故単独(長さん)

今回は、この遺物が神社の近所から出土した
という情報を知った上で、コソ泥の捨てていっ
たものであると、結論する事にする。
 結論は以上なので、さっそく論を開始する。
 まず滋賀県は既に、遺物の出土環境につい
ては、成立時期と場所の情報を発表している。
時代は12世紀で、場所は神社跡の横の、水
分が過多で、将棋駒が保存できる地面の下で
ある。
 次にこの王将駒は、裏に”備品”と書いて
あると見て、仮に正しいとする。そうすると、
共通場所で、当時の民が、共通に使用するも
のなので、

盗んで、私物化しないようにしようとして、
管理者の神社の神主等が”備品”と書いた

と解釈するのが、最も判りやすいとみられる。
 ところで、当時の将棋駒が1セット32枚
だったとすると、備品と書いたのは王将×2
と金将×2の計4枚、1セット36枚だとす
ると、王将×2と金将×4の計6枚まで、
書こうと思えば、裏の無地の部分に書ける。
 もし、このようだとすると、コソ泥の盗難
は防げたに違いない。盗んでおいて、盗品だ
と判る4~6枚を廃棄すると、新しく作るの
がたいへんだからだ。たぶん、たまたま王将
1~2枚だけ”備品”というふうに、公共物
である旨が書いてあった。のでコソ泥に付け
入られてしまい、盗まれて王将だけ、別方法
で調達しようと、されてしまったのであろう。
 王将は高々2枚だけなので、この遺物が普
通に使っているうちに、散乱させて一部が出
土したと考えると、

名札付きの王将駒が、たまたま出る確率が、
16分の1ないし、18分の1のため不自然

である。
 泥棒が盗んだが、神社から盗んだのがバレ
るので、所有者の名前の書いた駒だけ、盗ん
だその近くの神社の横に捨てて、逃げていっ
た跡が検出されたと見るのが自然なように、
私には思えてきたのである。
 ちなみに、どうして備品と書いただけで、
神社の備品になるのかは、日本語の歴史に弱
い私には、今の所正確には判らない。
 備品という単語が、平安時代末の12世紀
には、”備え”は”供え”と同意味が存在し、
神社に奉納した、つまり”御供え物”という
意味が有り、”品”は古い仏典でよく使われ、
演劇の”一幕”の意味に近いものだったはず
だが、なぜか種別を表して備品として当時は
存在し、

たまたま12世紀には”(つまりは)神社の
持ち物”の意味が強かったと、取り合えず、
ここでは仮定

しておく。当時の特に、滋賀県長浜市潮津港
遺跡の将棋駒が出土した、元の神社周辺では、
”備(ソナエ)品”は”供(ソナエ)品”だっ
たという意味である。
 ではコソ泥に、どうして捨てた王将を、調
達できるアテがあったのかというと、元の出
土品の神社の所有者は恐らく、36枚制の、
取り捨てタイプの標準平安小将棋の道具を、
持っていたためだろうと、私は推理する。
金将は32枚制より2枚多く、裏に王将と書
いてから、表の金将の金を何らかのザラザラ
な面を使って擦って削り落として、王将に改
造すると、元の金将の2枚を使って王将2枚
として、32枚制の、賭博用原始平安小将棋、
取捨てタイプに使えるようになったと、私は
思う。
 つまり、①駒は取捨て将棋用だったので、
王将と金将は元々同じ大きさであり、②賭博
によく使用されたと推定される、コソ泥用の
32枚制ではなくて、金将と歩兵が2枚多い、
皇族の使う、36枚制の標準型平安小将棋
(取り捨て型)に対応できる枚数が、その神
社には、元々揃っていたと私は見るのである。
 ちなみに、将棋盤も9×9だったのかもし
れないが。庶民賭博程度ならば、布に書いた
盤なり、地面に線を引いたものなりで、充分
だった。ので8×8升目将棋は、将棋駒が揃
うだけで、12世紀の当時は特に、問題が無
かったのであろう。
 以上のように、2枚の王将と4枚の金将に
全部”備品”と書いておけば、盗まれなかっ
たのだろうが。たまたま運悪く王将1枚ない
し2枚にだけ、所有者の筆を入れただけだっ
た。そのために、駒が1セットまるまる盗ま
れて、しかも、それらは出土地点の神社から、
遠く離れた所へ持ち去られたため、出土しな
かった。しかし足が付くのをコソ泥が恐れて、
備品という所有者の筆印が入った王将駒だけ
を、現場近くに捨てて逃げた。そのためその
裏備品王将だけが1枚、出土したと考えると、
冒頭の結論のように、出土品の様子がよく説
明できるのに、私はさいきんになって、気が
ついたという事なのである。
 つまりこの史料は、所有者名を加えるとい
うアイディアは平凡だが。少なくとも当時の
小将棋が、取捨てタイプで、興福寺駒や中尊
寺駒同様、駒種で大きさに差が無い事を、コ
ソ泥にとって、名札付きの王将の代替が、同
時存在する2枚の金将を作り変えさえすれば
容易である事を示唆する事によって、当時の

将棋駒の形を推定可能にしているという点で、

かなり貴重なものだと、みられるという事に
なるのである。(2020/01/06)

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