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日本将棋伝来元現北タイのハリプンジャヤ国説(長さん)

本ブログでは今の所、日本の将棋の伝来元国と
して、タイ中央部のドヴァーラヴァティ国の可
能性は少ないと見ている。現カンボジアのクメー
ル国に侵略され、将棋文化が西暦1000年前
後には、たぶん残って居ないと考えているから
である。なおドヴァーラヴァティ国は、現タイ
のモン族の国家である。
 ただし、現在のミャンマーの南の海岸付近に
有った、モン族都市国家のパゴーやタトンの東
側内陸部のメナム川の源流域付近、現タイの、
ランパーンを首都とする、

ハリブンジャヤ国という国家が10世記過ぎか
ら、13世紀初まで有った

という情報がある。これもモン族の国家で、
ドヴァーラヴァティ国が、カンボジアのクメー
ル国の侵略を受けたときには、北に外れた位置
なので、滅亡しなかったという。そこで今回は、
日本の原始的平安小将棋がこのハリブンジャヤ
国起源の可能性は無いのかどうかを、議論する。
回答を書く。

恐らくこの国では無いとみられる。

理由は3つ有る。
①貴金属、銀の産出地から北にズレている。
②ホータン玉が手に入りにくい。
③メナム川の下流がクメール国占領地区で、
係争地帯であり、交易するには政情が不安定で
ある。
 では、以下に論を開始する。
 8世記後半に今問題にする、ハリブンジャヤ
国にタトンないしパゴーから、自陣3段目型
2人制古チャトランガ、副官成りが伝来したと
仮定しそのときに、この国はまだ小国家だった
と考えられる。そのうちの後のハリブンジャヤ
国で、日本の将棋化したとしなければならない。
 しかしながら、貴金属の銀は南のドヴァーラ
ヴァティ国に有り、後にカンボジア・クメール
国が占領所有していたとみられ、黄金将棋具が
作れない。
 それに加えて大理国と異なり、ホータン玉に
興味を持った中国人王朝宋朝に、ハリブンジャ
ヤ国は接して居ない。そのため、将駒が玉、金、
銀に拡張展開するという、動機付けがそもそも
無い。ただし、ミャンマーに近いから、ハリブ
ンジャヤ国の国の貴族や王は、ヒスイが入手で
きたかもしれない。なお中国人は、当時この地
域を”白衣蛮”と、一括して認識していたよう
である。

何れにしても、鉱山が他国領である。

 それに加えて、ハリブンジャヤ国の首都は、
メナム川の源流付近であり、南部には10世紀
末に、ドヴァーラヴァティ国を侵略したとみら
れる、カンボジア・クメール王国軍が、引き続
いて駐屯していたと考えられる。治安は悪かろう。
 中国の交易商人が、ソンコイ川の替わりに、
メナム川上流域に、宝玉将棋具を取りに行く事
は、たとえそれが存在するとしても、治安が
悪いので

考えにくい。

以上の事から、特に最後の治安の問題で、海岸
都市タトンのようにパガンに征服されず、南部
下流のドヴァーラヴァティ国のように、カンボ
ジア・クメールにも侵略されなかったとしても、
係争地帯を通らなければ、物の買い付けが困難
なため、

恐らく、現タイ国北部、メナム川上流山沿い地
帯から、日本の将棋が伝来してくるという可能
性は少ない

のではないかと、私は疑っている。
 なお問題の古代国家領土内からマークルック
駒とみられる象棋駒は出土しており、バンコク
の博物館に有ると聞く。出土史料として

将棋駒が有る点では大理国よりハリブンジャヤ
国の方が少しマシ

かもしれない。ただし出土将棋駒の成立は13
世紀以降であり、スコタイ王朝の頃と聞く。
 よって、可能性ゼロと決め付けるのは困難で
あるが。

南側に1000年頃に紛争地を抱えているのと、
銀山から遠い事、玉将を金将、銀将の上位に持っ
てこれたのかどうかが、謎であるの以上3点

から、ハリブンジャヤ国の方が、中国雲南省の
大理国より有利であるとは、かならずしも言え
ないのではないか。以上のように私は、今の所
考えている。
 なお、どこかの王朝の中心地が、日本の将棋
の伝来元だとした場合、

この他に11世紀頃に、伝来国になりそうな、
囲碁が入らず、イスラムシャトランジではなくて
かつ、遠くも無いめぼしい国は、今の所特に
見当たら無い。

よって本ブログの論によれば、日本の将棋は、
中国の雲南省起源。以上が最も有力なように、
今の所私には依然見える。(2020/01/07)

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