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シャンチーの玄怪録岑順天那国準え主張は陰陽師(長さん)

以前述べたが、中国シャンチーや、それとの
区別の主張が遅れた、プロト朝鮮チャンギが
日本に侵攻できなかったのは事実だが、原因

解明は難しい。

中国シャンチーのゲーム性の良さは、8升目
原始平安小将棋より、かなり上だし、二中歴
時代の平安大将棋よりは、はるかに良い。
 にもかかわらず、藤原定家の明月記の時代
より少し前に、日本に自然到達したと見るの
が自然な、プロト朝鮮チャンギが、かつての
囲碁のように、日本に上陸できないのは、不
思議である。
 本ブログでは、この点を説明するために、
玄怪録の岑順(小人の戦争)に、勝利国、
金象国の相手国として出てくる、敗戦国の

天那国が、任那を暗に示したものと捉えられ、
宝応将棋が、中国シャンチーとイコールで、
かつ、白村江の戦等での、日本軍の壊滅を示
唆と誤認される事によって、普及を妨げた

としてきた。なお、現在の定説は”宝応将棋
は中国シャンチーとつながる”だが”解明
将棋伝来の謎”の松岡信行氏や本ブログは、
駒名が2文字表現なため等を理由に反対し、
日本の平安小将棋の類と見ている。
 何れにしても今回は、具体的に

こんなデマを流したのは誰か

を論題とする。回答から書く。

平家政権の頃の陰陽師、例えば安倍家7代目
当主の安倍季弘等が疑われる。

では論を開始する。
 中国シャンチーや朝鮮チャンギが伝来する
にしても、最も早くは、博多、太宰府、京都
府の港の住人等か、朝廷や、藤原氏一族等が、
最も情報の入手が、早く出来たはずである。
たとえば天皇については本ブログの論であり
定説では無いが、西暦1129年に源師時長
の長秋記の日記に現われる記事、鳥羽上皇の、
”12枚の将棋の駒を使った袋物占い”に使
用された駒は、宋代の中国シャンチーの駒で
はないかと、前に述べている。つまり、

北宋象棋の時代には既に、中国の象棋ゲーム
情報について、朝廷内部では既知

だったという意味である。
 だから、流行を止めるとすれば、犯人は、
①朝廷内で、発言力が有った疑いが強いし、
②そもそも、玄怪録を根拠にしているとすれ
ば、太平広記を所持している事が疑われる、
陰陽寮に関係する者が最も怪しい
という事になるだろう。更には、平安大将棋
の原案作者が、本ブログの言うように5代目
③安倍泰長だったとしたら、その孫の安倍家
の7代目当主の安倍季弘にとっては、他人が、
平安大将棋から朝鮮チャンギに乗り換えられ
ると、先祖の顔が潰れる
事になろう。だから仮説が正しいとしてだが、

安倍季弘には、デマを流す動機が有る

と私は疑う。特に、普通の人間の主張なら
広まらなかったのだろうが、

陰陽師に、言うときの表情を含めて
オドロオドロしく言われると、皆気持ち悪がっ
て、プロト朝鮮チャンギを指すのを止めた

のではなかろうか。
 また、以上の経緯ならば、朝鮮チャンギ駒
の業者が、李氏朝鮮の時代に、将駒を将から
漢・楚に変えた理由を他人から聞かれたとき
に、質問者に対し、いかにも

④語り草として、語って答えてみせるに相応
しい”日本むかし話”である

ように、私には思える。
 主張した人間が、たまたま”その系”の、

逆らうと、触りの有りそうな人物だったので、

本当は、ゲームとしては出来が良いのに、
中国シャンチー系ゲームが、日本へは、ほと
んど上陸できないという事が、仮に有っても
おかしくは無い。
以上のように、私は考えるのである。
(2020/01/18)

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