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ペルセウス座流星群の古記録は都合の良い時(長さん)

以前、流星雨として著名な、しし座流星群
について、陰陽道師が広報を積極的にした
との話をした。特赦等の政策に、寄与した
実績を作るためという事だった。その際、
流星雨が、テンペル=タトル彗星起源かど
うか、陰陽師には意識されていないとした。
だから、この時代の他の流星雨もあわせて
チェックする必要がある。回答を書くと、
東アジアで平安後期に観測された流星雨は、

しし座流星雨と、西暦1007年のペルセ
ウス座流星雨、それに並の出現とみられる、
西暦989年のペルセウス座流星群と、日
本の古代に記録の無い、こと座流星群の、
計4種

だけだったようである。結論から書いてし
まうと、

一条天皇の藤原摂関びいきの贅沢三昧政治
が、院政期~平安末期に批判され、西暦
1007年のペルセウス座流星雨と、西暦
989年のハレー彗星+ペルセウス座流星
群の記録で、更に引き立てられている

らしい。では、説明を開始する。
 回答に示したが、平安時代後期は、流星
雨はしし座流星雨の3回と、ペルセウス座
流星雨の1回、並のペルセウス座流星群の
記録の1回の5回が日本の記録である。
ペルセウス座流星群・雨の西暦989年と
西暦1007年の出現は、誠文堂新光社、
西暦1974年の流星観測ガイドブックの
中で、長谷川一郎氏の、”流星の古記録”
に出ている。
 しし座流星雨(1002年)と、今回示
したペルセウス座流星雨(1007年)、
ペルセウス座流星群(並み、989年)は、

全部、一条天皇の時代である。

だから、流星雨は藤原摂関政治のやり方を
天が批判しているように見えるという考え
方と矛盾していない。
 残念ながら、流星観測ガイドブックで
長谷川一郎氏は、ペルセウス座流星雨・群
について元史料が何なのかを示して居ない。

しかし、しし座流星雨以外のケースが少な
いのでペルセウス座流星群の並出現を除き

平安時代後期の陰陽師、例えば安倍家2代
目、安倍晴明の次男の安倍吉昌が観測した、
西暦1007年のペルセウス座流星雨を、
5代目泰長等が、しし座流星雨の1035
年等と共に、盛んに宣伝していると見ても、
見なくても結論はほぼ動かない。989年
の並出現については、隠れたその他の並出
現について議論する必要が有り、989年
は出したが、その他はどうしたのか区別が
必要だ。
 ちなみに、西暦1007年のペルセウス
座流星雨は、西暦1980年の準流星雨と、
雰囲気が似ている。1~2時間程度の、立
ち上がりでは無くて、放射点(輻射点)が
上昇してから夜明けまで、λ(1950年)
で135°の日に、1007年のケースは
概ね多かったのである。1007年の並ペ
ルセウス座流星群は、同時にかぶって出た
が、数倍以上の雨流星で隠されたのである。
 そこで一応、西暦1007年に、

ペルセウス座流星雨が現われた原因

を本ブログも天文学的に、解説してみる。
これはずばり、木星と土星のダブル引力に
よる、西暦1862年、1921年、
1980年系列の類の、分布変化によるも
のである。つまり、
木星の公転周期は11.862年、
土星の公転周期は29.532年、
であるが、木星の公転周期の5倍と、土星
の公転周期の2倍は59年に近い。
1980年の流星雨59年前の1921年、
その59年前の1862年に流星雨になる
のは、火星と地球の間にペルセウス座流星
雨帯が突き刺しているのだが、普段は見え
ない。しかし木星と土星が共同で引力を及
ぼすと、一時的に、内側に分布チューブが
ネジレ込んで、地球に濃い流星の塵のチュー
ブが接触し、問題のその年のペルセウス座
流星群の、極大日ちょっと前くらいだけに
流星雨になるのである。普段の、
λ1950年は、今は139°位であり、
西暦1007年にも余り動かない。
西暦2007年のペルセウス座流星雨はλ=
135°とされているのである。
 なお、この説明は1990年の頃私も良
くしたが、信じてもらえない事が多かった。
実は西暦1862年と1980年について
は、母天体のスイフト=タトル彗星が近い
効果が、これにプラスされるため、議論が
複雑化し混乱したのである。後に東京都の、
府中天文同好会の怪長氏が、表計算ソフト
のエクセルで計算して、私の言うのが正し
いと、言ってくれた記憶がある。
 蛇足だが、来22世紀初頭から、この状況
は、更に少しずつ変わる。このような挙動が
もし、平安時代末に理解できるとすれば、
理解出来る人間は、神仏など、ものとも
しない”剛の者”だけだっただろう。
 試しに1862-1007は855.0
だから木星の公転周期に72、土星の公転
周期に29を掛けると、
11.862×72≒854.1
29.532×29≒856.4
で近いので、ほぼ間違いないと見られる。
この流星雨は、スイフト=タトル彗星が、
近日点に回帰しておらず、太陽や地球から
母天体が遠くても、起こるものである。だ
から、

西暦1007年の記載は、ペルセウス座
流星群に関する、西暦1921年等の型の
流星雨に、ほぼ間違いあるまい。

 それに対して、西暦989年の記載は、
単なるペルセウス座流星群の平年出現だと、
かなり疑われる。
その後ただちに、改元の有った年だそうで
ある。永延の改元の理由も、長谷川一郎氏
は言及しなかったが、最近ではwebによ
ると、以前に述べた”ハレー彗星出現”と
されるそうである。恐らくこの、

西暦989年のペルセウス座流星群の観測
は、陰陽師の説を補強するためのオマケ

だろう。
 なお次の永祚の改元の理由は同じくweb
によると、台風によるものとの事である。
 私にはハレー彗星のオマケだと、はっき
り証明できないが、つまりペルセウス座
流星群は、西暦989年に限らず、その程
度に毎年出てるはずなのに、

この989年の出現だけ、妙に”噂が後代
まで残った”

という事実があるという事である。なお、
安倍家の989年時点での当主は、

言うまでも無く、初代の安部晴明

である。2代目の安倍吉昌は、駆け出しの
頃か。
 ようするに陰陽道の安倍家の、たとえば
安倍晴明は、ペルセウス座流星群が、騒げ
ば話題になる程度に、毎年出ている事は知っ
ていたが、普段は

大概は手柄にならないので、隠匿

していた。そして、ペルセウス座流星群に
ついては、改元等の実績に結びつきそうな
ときとか藤原摂関政治が批判されたときに、

小出しにして、子孫に家元の名誉になる改
元の政策に関与したとの話題を、提供する
等していた

疑いもあるという事かもしれない。
 確かに、西暦2007年にペルセウス座
流星雨はたまたま、本物の流星雨となり、

こちらは2代目の安倍吉昌が記録、

かつ、平安末期には、一条天皇時代の
藤原摂関政治が批判された等した頃公知
になったので、史料が残る程度に知られる
事になったが。西暦

989年のペルセウス座流星群の広報は、
一条天皇時代に、怪現象が多かった事を
証拠立てる為の、安倍晴明、泰長、泰親
等の情報操作が、著名化要因

の疑いもあると私は疑うという事である。
つまり事実としては、

並の年のペルセウス座流星群の出現情報は、
平安時代後期に、情報操作に利用された

とも疑われるという事である。恐らく他人
が流星群の観測技術の匠になる事によって、
陰陽道の職を、後発他者に取られるという
意味ではたぶんあるまい。よってこの場合、
狙いは、流星雨や大彗星の出現の、社会的
波及効果の強化策あろう。つまり989年
のペルセウス座流星群(並み)は、

”一条天皇とその一派はサロンを作って、
政治そっちのけ”の悪評世論を、ハレー
彗星に加えてペルセウス座流星群もを付け
加える事で、更に自説補強させる事を、狙っ
たための利用という事

であろう。
 なお、日本では記録に残らなかったが、
鳥羽院政の時代には、こと座流星群が、
定常的に春に出ていた。これについては
特に利用価値が無かったのか。こと座
流星群の定常的出現について、こちらは
日本では完全に無視隠匿されたようである。
 つまり経験的に、毎年1週間程度は、
はっきり目立つ感じで出るペルセウス座
流星群が存在するという事実は、33年毎
に固まって1~2回一晩だけ出るという、
しし座流星雨と違って、より発見は容易だっ
た。そのため、

平安時代後期に、安倍晴明等によって密か
に発見され、普段は情報プールされて隠匿
され、使えるときに使ったのかもしれない

と1点だけだが史料から疑われる。そもそ
も、西暦989年ペースで記録が残ったら、
ペルセウス座流星群の古記録は、梅雨が長
引く事が無いなら、毎年になるわけで、
1世紀に80~90件のペースになるはず
だからである。そのような事実は無いから、
隠し方が、月星の会合のパターンとは違う。
知っていても、極端な怪奇現象ではなかっ
たので、当時はスルーされる事が多かった
のだろう。利用して得な場合だけ、繰り返
すと、論の補強として使ったということで
ある。ただし、

利用方法が仲間内で論じられても、得が無
いと考えられて、天文学的法則性は特に、
追求されなかった

のであろう。流星雨のチューブは、古くなっ
た、別の発生年の分は、起源が同じスイフ
ト=タトル彗星放出であっても、流星雨の
部分よりも太く広がって普通のペルセウス
座流星群を、作り出して毎年出るのである。
 つまり、しし座流星雨の顕著な怪現象性
は、ペルセウス座流星群という、定常的に
夏等に出現する流星群の出現情報を、旨く
陰陽道師が小出しにして情報操作する事に
よって、天命の雰囲気を当時、さらに醸し
出されていた。その結果、
しし座流星雨の自然科学としての解明の道
は、むしろ、ペルセウス座流星群の存在に
よって、遠のいてしまったという事、なの
かもしれないと私は考える。(2020/01/23)

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