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富山市願海寺城、線刻”裏し大申斗”駒は成と香車(長さん)

戦国時代、一乗谷朝倉氏遺跡将棋駒とほぼ同じ
頃に成立とみられる、富山県富山市の願海寺城
遺跡から、西暦2002年前後に出土し、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒にも記載のある、
線刻文字付き出土駒について今回は論題にする。
話題にする理由はwebによると、2020年
1月29日に、富山市内の安田城跡資料館で、
この遺物を含めて、説明会が有ったようなので、
頃合が良いためである。結論から書く。
 鎌倉の鶴岡八幡宮境内遺跡出土駒の、香車と
同じタイプの誤認パターンなので、裏はと金
で良いとして、表は香車であろうと想定される。

歩兵と香車は、類似の形であると、作者は言い
たい

のであろう。では、論を開始する。
西暦2002年前後発掘の富山市の願海寺城跡
出土駒は

一枚だけである。

この駒は、概ね墨書きが成り”と金”歩兵駒で
あり、それとダブって線刻で”裏『し』大申斗”
等と彫られている。今回は、歩兵駒としてでは
なくて、

謎のダブり線刻を読む。

2003年に、富山市教育委員会から、富山市
内遺跡発掘調査概要Ⅴという、調査報告書が出
ていて、先行研究が38ページ付近に載ってい
る。研究者は、増川宏一氏である。なおweb
上で公開されている。
それによると、以下のようである。
①少なくとも裏は、とである。ただし2画目の
L字部分は、理由が謎だが刻んで居ない。
②オモテ面の上部は大のようだ。2文字なのか、
3文字なのかは判然としない。
③一字目は奔かもしれない。しかし、奔王は
不成りだし、奔猪なら裏の間違いであり、とが
横行になるはずだが、そうなっていない。
④ひょっとすると、”大兵”という駒が有るの
かもしれない。
 以下は、本ブログの見解である。
 そもそも、香車の字の薄い駒を、別駒だとの
先入感から、奔駒とか金の1~2画だとか読む
のは、今やすっかり御なじみの錯覚であり、成
書天童の将棋駒と全国遺跡遺跡出土駒を見ても、

パターンが良く似ている。

上が詰まっているとノが無いように見えるが、
奔に見えたときには”香を疑え”は今や格言
だ。だから、一文字目は

”香”に、まちがいないと本ブログでは考える。

次に斗は十に近く、車の一部が十に含まれるか
ら、2字目が斗に見えたら、

車だと疑うべきである。

裏面のとの一画目はとであり、ひょっとして、
2画目は磨耗しただけなのかもしれない。
よって、本ブログでは、

歩兵駒の上に、線刻で香車を書いた

のではないかと、かなりの確率で疑う。動機は、
もとより証明困難だが、

”歩兵と香車は、(戦国時代には)長細い駒で、
同じような形である”との旨の初心者向け教育用

等が考えられる。
 一乗谷朝倉氏遺跡の出土駒は、同じ時代であ
れば、全国共通である事を富山市駒も、よく表
現しているという事なのであろう。
 実は、同様な情報が当然含まれる、同時代の
滋賀県の観音寺城下町遺跡出土駒では、

たまたま、運悪く香車が一枚も出土しなかった。

その点で、この富山市駒の情報は、貴重である
事が、少なくとも本ブログによっても、ここに、
はっきりと明らかにされたのである。(2020/02/01)

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