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なぜ盤双六の存在は初期象棋をブロックしない(長さん)

本ブログでは、日本に西暦666年頃から
西暦1015年の間にイスラムシャトランジ
は、伝来すると直ぐに、廃れたと考えている。
囲碁のゲームの出来の良さを良く知っている
ので、出来の悪いイスラムシャトランジ系
ゲームは盛んにならなかったと見たのである。
ところで、出来の良いゲームとして、盤双六
があり、ペルシャや欧州ではイスラムシャト
ランジ時代に盛んであった。しかしイスラム
シャトランジがこれらの地域で日本のように
廃れると、西洋チェスが存在し無い事になり、
事実に反する。そのため、囲碁は初期将棋の
キラーになるが、盤双六系はキラーには、
ならないと考えなければならない。なら、
なぜゲームの出来の良い盤双六からは、初期
象棋であるイスラムシャトランジの出来の悪
さが発見できないのかを、今回は論題にする。
回答を先に書く。

棋力がAとBの対局で、Aが少し大きいとき、
囲碁ではA勝ち、初期象棋では勝負付かず引
き分け、盤双六ではAとBが勝ったり負けた
りになる。

ゲームが勝ち負けが確定して終わるという点
で、囲碁と盤双六は初期象棋より優れるが、
AがBより棋力がすこし上という点が、反映
されないという点で、囲碁より劣りかつ、

盤双六と初期象棋はその点で同じ。なので、
前者が後者よりも優れているように見えない
から

である。
 では、以下に論じる。
 言うまでも無いが、盤双六が流行ったのは、
上記の例で、Aの方がBより少し優れていた
とき、

Aが勝つことが多いが、Bも時として勝てる

からである。だから、頂点に居る名人が誰な
のかを決定するには、囲碁の方が盤双六より
優れているが、盤双六には

弱者Bが、たまたまの運を信じてプレーして
くれるので、賭博としては面白く、盤双六は
それなりに流行る要素が有る

と考えられる。だから、盤双六を会得してか
ら、初期の時代の象棋、例えばイスラムシャ
トランジをした場合は、囲碁のように、棋力
の差がスッパリ出るゲームが、囲碁が有る場
合とは違って、別には無いと考えられる。
そうすると、トーナメント戦を繰り返して、

名人が誰なのかを問題にする意識が、生じに
くかった

と考えられる。ゲームとは、実力の他、運も
左右するのが、当たり前と認識されるため、
”匠”は居ても、頂上”トップ”を決めよう
とは、しないからである。
 こうした意識を持っている限り、勝つのは
運だから、イスラムシャトランジに、ゲーム
の終端状態に達しにくく、引き分けが多いと
いう欠点は、

余り苦にならない

と当然だが考えられる。玄怪録の岑順のセリ
フではこれが曖昧に、宝応将棋に援用されて
おり、”勝利はときの運であり精霊が決める
こと”と、文学表現されているとも考えられる。
 それはともあれ。
 ペルシャや中世の欧州のゲーム界は、その
ような状態だった。だから、イスラムシャト
ランジが、囲碁のある東洋の中国、朝鮮半島、
日本のように、ブロックされなかったのでは
ないかと考えられる。
 なおインドでは、盤双六が余り、流行らな
かったようである。本ブログは”盤双六の謎
を解く”目的のものでないため、

なぜ古代インドで盤双六が余り盛んでなかっ
たのか

に関して、詳しくは述べない。簡単に書くと、
古代インダス文明の流れをくむインドでは、
”国の文化であるから、特定のゲームをする”
という、”思想”というもの一般が、そもそ
も流行らず、

賭博の、本質的意義の有無が問題にされた

とみる。その結果、ハイリスクならハイリター
ンで無ければならないと考えられ、二人制
賭博ゲームは、概して流行らなかった。とい
うのも、インド人に言わせると

一人づつカモにしてゆくのでは、金を巻き上
げるのに”効率”が低すぎると考えるため

である。その結果、ゲームの良し悪し以前に、
2人制ではだめとされ、賭博は四人制
チャトランガのように、3人以上のゲームに、
早くに移行したのではないかと、私は考える。
 何れにしても棋力世界一という事が、価値
有るものだと認識されるには、現実として、
最善手を選択するのに、高度な実力が必要な
ゲームが、囲碁という形で現実に出現しない
と生じないし、又囲碁のように、悪手をちょっ
とでも打つと、名人戦では勝ち抜けないよう
なもので、なければならなかった。

現実にそうした性質を充分に供えた囲碁が現
われて、第2番手のイスラムシャトランジは
遅れを取って、東洋では囲碁にブロッキング
された

のであろう。
 以上の点から、棋力が結果とイコールにな
り、かつ最善手の選択に相当な鍛錬が必要に
なるという両方の条件のうち、

盤双六には前者の性質が、たまたま欠けてい
た。そのためたまたま、対イスラムシャトラ
ンジへのブロッキングゲームになれなかった。

私は以上のように、考えるのである。
(2020/02/12)
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