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タイブリラムマークルッククン・コン駒はイスラム(長さん)

今回は、清水康二氏の2017明治大学学位
請求論文の、マークルックの史料に関して、
ブリラム駒はたいへん貴重であり、タイ族が
モンゴルに圧迫される前の、モン族・クメー
ル族が優勢の時期には、

マークルック駒は、
イスラム教諸国駒に似ていた事を示している

との旨を述べる。では、論を開始する。
 問題のブリラム駒は、清水論文に17個前
後、紹介されている。本ブログの主張を明確
にするため、典型的な以下の写真の、2個の
み問題にする。他の15個を加えても、矛盾
は発生しないと、本ブログでは考える。
 単刀直入に言うと。
以下はイスラムシャトランジの王の形に似た
駒だと、私は考える。

ブリラム君駒.gif

次に以下は、イスラムシャトランジの象の形
に似た駒だと、私は考える。

ブリラム根駒.gif

よって、これらの駒は残りの15枚も含めて、
タイのマークルックや、カンボジアの
シャッツロンの駒と言うよりは、
イスラムシャトランジや、インドネシアの
チャトルのゲーム駒の形に近いように思う。
 つまり、一例としてマークルックで言えば、
この駒の作られた時代には、タイの仏教にお
いて、仏塔という具体的造形物を崇拝する習
慣が、まだ完全には確立されていなかったた
めに、現在のマークルック駒のような仏塔型
のクン駒やコン駒にしなかったように見える。
次が本ブログ、独自の論だが、

仏教駒の要素は、ずばり中国の雲南省に居て、
大理国の仏教に溶け込んでいた、タイ族が、
この直後に持ち込んだもの

と考える。つまり、駒の形としてもイスラム
駒に、大理駒の要素を溶け込ませたのが、
今のタイのマークルック駒の姿であり、

タイのブリラム県の古マークルック駒は、
モンゴル帝国の圧迫により、タイ族が大量移
民する直前の、12世紀初から13世紀前半
のタイの駒だったので、イスラム駒の面影を
強く残している

と、私は考えるのである。(2020/02/21)

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