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石川県金沢市郊外堅田B裏不明龍馬駒木簡研究(長さん)

前に述べたが、本ブログでこの駒が龍馬と読める
事を指摘したのは、西暦2018年8月である。
他方、最近web上に見つかった、滋賀県文化財
保護協会の紀要31の三宅弘氏の西暦2018年
3月の文献”将棋史研究ノート(9)”には、本
ブログの発見より前に、この駒が龍馬と読まれて
いた事が記載されている。今回は、誰が読み取っ
たのかをチェックした結果を示す。
回答から書くと、

西暦2005年の木簡研究27号で”他の1面は
不明であるが、墨跡のある面は龍馬”と読まれて
いた

ようである。以下に補足する。
 この駒は、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に記
載がある。発掘した当時と、天童の将棋資料館が
リストを作った当時は”□馬”としか読めて居な
い。発掘されたのは前にも書いたが、2002年
前後であるとみられる。3年後の2005年に、
木簡研究27号で紹介され、そこで”龍馬”と、
読まれていたらしい。13世紀中~後期と年代が
確定したのは、石川県が指定文化財にした頃の、
少し前であり、わりと最近の事と認識している。
 なお、三宅氏の将棋史研究ノート(9)にも、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒と同じスケッチは
あるが、駒の写真は残念ながらない。彼が、裏面
の墨跡の存在の有無を確認しているかどうかも、
実は、将棋史研究ノート(9)からだけでは、余
り良くわからない。三宅氏自身は反対面には墨跡
が、元々無いという可能性について文面から察し、

余り考えた事が無い

ように読み取れる。
 私の方は、妙な模様状の書き込みがあれば、ス
ケッチするはずなのに、それは無いなら、

少なくとも何かが濃くは、書いては無いのだろう

と、特にここ1年位は、決め付けていた事も確か
である。言われて見れば、どちらが正しいのか、

情報自体が、余り見当たらない

ので依然不明と見るのが公平だと、三宅氏の
”将棋史研究ノート(9)”を読んで、私も気が
ついた。(2020/03/06)

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