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なぜ大・中将棋の奔王と龍馬間に龍王が有るか(長さん)

後期大将棋でも中将棋でもそうであるが、
中央歩兵列下には、真ん中の列から
奔王、龍王、龍馬と並ぶ。今回は、名称と
して、このうち中央の駒が龍王である事の

正当性

について議論する。議論する理由は、

本当に西暦1300年頃、普通唱導集の
大将棋で、本ブログ説のように、中央歩兵
下列が、このような並びだったのかどうか、

その尤もらしさ

を考察するためである。なお、以前に龍駒
を片方6枚にしているのは、蒙古来襲時の
呪術的意味が大きいと、本ブログでは論じ
ている。回答を書く。

3種類組駒に関して、1字合わせをする事
を狙って龍馬と奔王の間の駒は龍王とした

と見られる。
 では論を続ける。
 出土駒として出ておらず、よって、
普通唱導集時代の駒については、

不確定性の最も大きい駒種は、今や龍王

である。本ブログを開始した頃には不確定
性最大の駒は、”猛牛”と意識されたので
あったが、2段目配列が、別尊曼荼羅図の
大威徳明王図がモデルで有る事が、明白と
なってきた上に、雲南省のムアンの600
kg/1頭の肉を取れる牛が、猛牛(うし
のくに)元々の意味で有る事も、判ってき
た。ので猛牛が、西暦1300年から有る
という論は、少なくとも最近の本ブログで
は、ほぼ確実視されるようになっている。
 それに対し、実際に史料が乏しいのは、
普通唱導集大将棋の本ブログ版では、龍王
と意識されるようになった。ただし、本ブ
ログ盤の歩兵下段配列は、元々中将棋と、
後期大将棋とは類似になってはいる。
堅田B出土駒が、年代確定してきたので、
龍馬の存在も、だんだん確実視されるよう
になった。そこで龍馬が有るなら、龍王が
有りそうだという話には、なってきている。
 今回は更に他に材料は無いのかと言うの
が、議論の内容である。実は、

飛車、反車、香車の三つ組は、普通唱導集
の大将棋唱導唄で唄われているので確定

である。そこから眺めてみると、九星占い
が盛んな、わが国中・近世では、3つ組駒
が3種類有ると言うのが、比較的尤もらし
く思えてくる。なお、酔象、麒麟、鳳凰の
組も3つ組だが、西暦1260年を境にし
て、残りの3組はその前、酔象、麒麟、鳳
凰の組は、その後で、結局は1290頃年
時点で4組の三つ組み駒が出来たとしよう。
 以上が回答であるが、もう少し説明を続
ける。
 そうすると、普通唱導集大将棋は、1~
5段目が、
5段目:口口口口口口仲人口口口口口口口口・・・
4段目:歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵・・・
3段目:飛車横行竪行角行龍馬龍王奔王龍王・・・
2段目:反車飛龍嗔猪猛牛猛虎麒麟酔象鳳凰・・・
1段目:香車桂馬鉄将銅将銀将金将玉将金将・・・
であったから、3組が、
香車、反車、飛車
横行、竪行、角行
龍馬、龍王、奔王
という事になる。この9種が西暦1260
年頃までに、陰陽道流で、9星に準えられ
たので作られたのであろう。特徴は、

3つ組の中の、1字が隣同士で共通

な事である。鎌倉時代以降の武家の系図で、
殿様のイミナが、1字づつ共通になってい
るような感じである。しかし、車駒と行駒
と異なり、龍馬、龍王、奔王は、離れた
龍馬と奔王との間に、字の共通性が元々無
い。奔王の方が、少し前に作られたからで
あろう。
 つまり、

どちらにも1字だけ同じ字を入れる事が出
来るので、本来は龍を意味する、龍王と
いう駒を考えたとみるのが、かなり尤もら
しいことだ

と言うことになる。
 最近まで、今述べた事に気がつかなかっ
たので、龍王の駒の存在の必然性には、個
人的には、かなり悩んでいた。
 しかし、他に3つ組駒が2種類、
普通唱導集時代の大将棋に存在する事は、
栃木県小山市神鳥谷曲輪裏一文字金角行駒
という出土駒のパターンや、普通唱導集の
大将棋唱導唄の内容である、斜め走り駒の
存在示唆、更には、
鎌倉市の”搦口口口口口王馬馬仲口”木片
の存在から見て、かなり確かなのであろう。
 そのため9星占いが盛んなわが国では、
奔王と龍馬も3つ組駒の要素にするという
のがかなり尤もらしく、その場合は両側の
駒である、奔王と龍馬のどちらにも共通字
で、かつ、走り方向が4方向の大駒を、
作りやすい龍の字の入った龍王が、出来や
すいという事は、元々あるのだろう。それ
に加えて、蒙古から日本を守っているとい
う神道が作った竜神伝説もあり、龍は大将
棋に、飛龍、龍王、龍馬という具合にたく
さん有ってよく、ゆえに龍の本家の龍王が
更に作られた、という考え方で、余り矛盾
は無いのであろう。(2020/03/11)

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