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京都市八条院跡遺跡”中兵”六朝時代中国官名か(長さん)

以前、滋賀県文化財保護協会の三宅弘氏
の”将棋史研究ノート9”(西暦2018
年)に、表題の”中兵”が1995年前後
に京都市左京区八条三坊十四区(八条院跡)
遺跡にて出土したという内容が書かれてい
る事実を、本ブログで紹介した。そのとき
には”中兵は仲人の誤記か”と述べた。
その後、諸橋徹次著書の大漢和辞典の1巻
311ページ(漢字”中”)の所に、表題
のように、古代中国の官名であると記載が
あったので、報告する。
 諸橋徹次氏の大漢和辞典には、以下のよ
うな旨が、記載されている。
【中兵】読み:ちゅうへい。官名。
三国鼎立時代の、魏の五兵尚書のひとつで
ある。畿内の兵隊を掌どる。南北朝時代、
南朝の宋代には、左中兵、右中兵に分けら
れた。隋の時代に廃止になり、西晋時代に
別途存在した”中兵参軍”だけが残った。
通典、職官典、”兵部尚書”に”魏の時代
に、中兵、外兵、騎兵、別兵、都兵の
五兵尚書を置いたが、南朝の宋代の太康時
代に(?)、中兵と外兵が左右に分かれた・・

以上のような意味の事が、諸橋徹次氏の大
漢和辞典に書いてあるようである。
 以上の事から、八条院跡遺跡の将棋駒の
駒師が諸橋徹次氏の大漢和辞典に書いてあ
るような意味での中兵を作成したとしたら、

五兵尚書が中兵、外兵、騎兵、別兵、都兵
の5職

である事を、なんらかの方法で、知ってい
たという事になろう。
 荻生徂徠の広将棋の駒の名前の付け方の
ような駒だと言う事になれば、その例が、
江戸時代から鎌倉時代後期に、いっきに遡
る事にはなりそうだ。
 他の4兵の何れかの駒が、今後京都市市
内から出土したとしたら、以上の可能性も、
考慮に入れるべきだろうと私は思う。
(2020/03/13)

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