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なぜ色葉字類抄の将棋は”象戯”なのか(長さん)

以前、巻の違いで発見が遅れたり、本ブログで
はトラブルが多かったが、色葉字類抄や伊呂波
字類抄の将棋は、巻数に関係なく、みな”象戯”
であった。ところが、指したのが色葉字類抄と同
じ頃の、健寿御前日記(たまきはる)の将棋は、
藤原一族型で将碁だし、源師時の長秋記等の将棊
以外は、それまでほぼ将碁で統一されている。実
は、室町時代の公家の日記に”象戯”は多いが、
色葉字類抄が、元々のようにも思われる。そして、
鎌倉時代までは色葉字類抄以外に、象戯の記載は
余り無い。色葉字類抄がマイナーな熟語を載せて
いるとも考えにくいので、いったい色葉字類抄の
”象戯”自体はどこから来て、鎌倉期にはなぜ、
使われる事が、比較的少なかったのかが、問題に
なるとみられる。今回は、以上の点を論題とする。
 回答から書く。
 西暦1080年頃、唐物の中国書籍に、ヒムリー
図の北宋象棋や、晁無咎(晁補之)の広象棋を
紹介した詳細不明の書籍が有って、平安小将棋の
標準化にも使用された。そこでは”象棋”ないし、
”象奕””象戯”と表現されていた。が、平安時
代の貴族等、上流階級の人間には”世界の将棋”
の語のイメージで、これらは理解された。
 そこで一般に、新作のさまざまなタイプの将棋
類を指す用語として、

標準平安小将棋と平安大将棋以外の将棋ゲーム

に日本式用法で”象戯”が、12世紀半ばに貴族
の間で使われ出した。そして和製辞書である、
色葉字類抄でも、採用されたのが始まりという経
緯だった。標準平安小将棋と平安大将棋が比較的
指され記録されたので、その時代に象戯の用例は、
比較的少ないとみられる。
 では、以下に説明を加える。
 ポイントは、色葉字類抄以外では、中世日本人
は、中将棋を中象戯とイメージしていたと考える
と、話のツジツマが合うという点だろう。なお、
八木書店2000年復刻版発行の、二巻物4冊型
色葉字類抄の、奥付付帯史料、”小将碁馬名”、”
大将基馬名”と、”き”雑物の中将棋と見られる記載
は、西暦1565年に雪竹老人加筆と、ひとまず
ここでは仮定しておく事にする。そうすると。

中将棋は南北朝時代の作だというのが正しいとす
ると、室町時代まで”象戯”の出現が飛んでいる
のは、ゲーム性を工夫した将棋類以外では、余り
使わない言葉と解釈すると良く説明できる

とみられる。だから、少なくとも当初は、
日本将棋、9升目平安小将棋、二中歴平安大将棋
に、日本では象戯を使わない用法だったと考えら
れる。
 日本で8升目32枚制原始平安小将棋が成立し
たのは、本ブログの説では西暦1015年頃であ
る。中国にシャンチーはその時代にまだ無く、簡
単化して議論すれば、イスラムシャトランジだけ、
中国では成立した状態だったとみられる。そして、
その時点で、大理国から原始平安小将棋(一例、
周文裔が銀将追加型)が伝来した朝廷及び太宰府
だけで、

”将碁”や”将棊”が、”将駒の種類が複数有る、
囲碁のように駒を使う遊戯”の意味で成立

したとここでは見る。言葉や漢字の字体を決めた
のは大方、西暦1020年頃太宰権帥であった
藤原行成あたりであろう。
 その状況が続く中で、西暦1080年までには、
中国で北宋象棋と広象棋が成立したと、本ブログ
では更に見る。そしてその頃に、大江匡房や白河
天皇の手元に、中国象棋本が届いたと考えるのが、
本ブログの見方である。そこには、北宋象棋と、
広象棋等が記載されてあって、”象棋”ないし、
”象奕”ないし、”象戯”と説明され、”北周の
武王(帝)が作成した”等と書いたあったと考え
られる。もし、以上のようだとしたら、

正式に標準化しようとしている平安小将棋の将棋
以外は、象棋をモジッた象戯を使おうではないか

という話になったとしても、さほどおかしくは無
いのではないかと私は考える。実際に大江匡房は、
何らかの文書に”象戯”を書き、12世紀半ばに
は、ほぼ上流社会で、定着したのではなかろうか。
そもそも、玄怪録の宝応将棋も、象戯と表現され
ていたようだから、訳が判かっていた当時の貴族
には、その使い方で、皆了解したのだろう。
 その為、特に平安大将棋の改善タイプには俗に
”象戯”という用語が、13世紀になると使われ
出して、貴族の書き物として、稀に見いだされる
ように、なっていたのかもしれない。それを更に、
色葉字類抄が、たまたま和語として、記載したの
ではないのだろうか。
 そのため、玄怪録の象戯が、シャンチーの時代
に、象棋にごっそり全部転換されるという、中国
とは別の用語の使い方になるという道を、日本で
は辿ったのだろう。
 よって、貴族社会には経緯の記憶が、比較的後
まで残っており、中将棋や、水無瀬兼成の、
将棋纂図部類抄には、中将棋、大将棋、大大将棋、
摩訶大大将棋の将棋に、”後作改良ゲーム”とし
て”象戯”の語が、充てられたのではあるまいか。
泰将棋が大将棋にされたのは、正式標準は将棋と
いう使い方を、水無瀬兼成はまだ、覚えていたか
ら、豊臣秀次が作を命令して作成した手前、そう
したのかもしれない。以前に本ブログでは、体裁
の良さや高級感だけを、泰将棋を大将棋と水無瀬
兼成が書いた理由だと指摘した記憶があるのだが。
 だから結論から言えば、日本式の象戯では、

徳島県川西大将棋の辺りからが、大象戯と書いて、
該ゲームの事と理解すると比較的判りやすかった。

以上のように、私は推定すると言う事である。
(2020/03/26)

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