SSブログ

なぜ12×8升目大臣猫叉型クーリエは長寿(長さん)

駒数と升目数の比較的多い、中近世ヨーロッ
パのチェス類のゲームとして、ドイツとフラ
ンスで指されたと聞く、12列×8段升目
48枚制ゲームのクーリエチェスが有る。
12世紀から、近代近くまで、ドイツの一部
で指されていたと岡野伸氏が、たとえば、
大阪商業大学アミューズメント産業研究所の
機関紙、ギャンブリング・
ゲーミング学会ニューズレターNo.20
(2010)で述べている。
このゲームは16世紀初に、画家ルーカス・
ファン・ライデン(蘭)が絵を描いてくれて
いたため、実在がいっそう明白になったので
知られている。ただし、副官または大臣が、
猫叉動きだった時代の絵では、恐らく無いだ
ろう。15世紀中には、西洋チェスの大臣が
女王に変化したので、オランダでは女王の
ルールで指されたはずである。そこでここで
は、ドイツでは12世紀~15世紀中まで
指された可能性の高い、大臣猫叉動きのクー
リエチェスについて、イスラムシャトランジ
型の中世西洋チェスの存在下で、ドイツ・
神聖ローマ帝国において、更にこのゲームが、
改造されるなどして廃れなかった理由につい
てを論題とする。答えから書く。

中世の暗黒時代だったので、ゲームの良し悪
しに関する目が、欧州中央では乏しかった

ので、そのまま指されたのであろう。
 では、説明を開始する。
 このゲームは、イスラムシャトランジ型な
ので、終盤、2枚飛車で玉を追いかけるが、
なかなか捕まらないので勝負がつきにくい
欠陥を持つ。だから、

8世紀から10世期の日本では、流行らない

と予想される。この点の前提が正しいのかど
うかについて、最初にチェックを入れる。
 以下の図は、このゲームを、適宜日本の
将棋等で、等価な動きのものに、置き換えた
としたときの、初期配列である。なお、
オリジナルのクーリエチェスは、期間の前半、
大体においては以下の駒の名称になっている。
2段目:ポーンが12枚
1段目:城、騎士、射手、飛脚、人、王、大臣、道化、
飛脚、射手、騎士、城
 岡野伸氏は、大臣を中世の女王としている。
 なお、上の配列は先手(ホワイト)側であ
り、後手(ブラック)側は王と大臣、人と道
化が入れ替わる。

クーリエチェス初期.gif

ここから、本当は大臣の前の歩兵を2升目
前進させた状態から、ゲームは開始する。
が、今回は、そもそも猫叉の前の兵を上げる
のも、着手の良し悪しという点で謎なので、
このルールを採用せずに、比較的、良い手と
みられる角道を空ける手から、開始して、
終盤がどうなるのかを、チェックしてみた。
一例では以下のようになるとみられる。

クーリエチェス終盤.gif

局面のように、どちらの王も危険な状態であ
る。注意したいのは、青側の玉が、小駒で
持ちこたえている事である。近王と表現され
た人駒や、大臣猫叉駒が無ければ、もっと危
ない状態だと言える。よって、このゲームは、

勝負を付けるのには、小駒が多すぎる

事は明らかである。だから、

イスラムシャトランジに比べて、クーリエ
チェスは、前者の改良ゲームの効果が乏しい。

なお、先手の玉は、後手の2枚の飛車等で、
追い回される展開であり、後手が攻め側になっ
ている展開である。ただし、イスラムシャト
ランジ同様、飛車2枚攻めは、詰みにくい。
よって、角行が2枚加わったとは言え、盤が
広くなっている事と、小駒を安直に増やして
しまったために、このゲームは、8~10世
紀の、ゲームの出来の良し悪しに対する目が、

囲碁の存在によって肥えた日本人レベルには、
受け入れられない程度のレベルのもの

と推定される。にもかかわらず、イスラム
シャトランジに加えてドイツでは、このゲー
ムが、ある程度12世紀から15世紀中まで、
恐らく変質せずに存続し得た。この点を説明
するには、何らかの理由付けが必要であろう。
 つまりは、ゲームの良し悪しを見抜くとい
う点での、中世欧州人のレベルの低さの原因
を、解明する必要があるのは、明らかなので
はないかとみられる。
 そこで考えられるのは、ルネサンス以前の
欧州に於いて、人間性は尊重されず、キリス
ト教に縛られた状態で、文化も、人の知性も
に低迷して、ゲームの改善意識レベルも低下
した、

暗黒時代の存在

を、持ち出さざるを得ない感じが私にはする。
 恐らく13世紀に、モンゴル帝国が攻めて
くると簡単に、負けるほどであったことから
察して、欧米人の知的能力は、今からは想像
できないほど、低下していたのであろう。
そのため、イスラムシャトランジを単に、
肥大化させた程度のクーリエチェスが、しば
らくそのままで存続できたのではあるまいか。
日本人が西暦1230年頃に発明し得た奔王
が、欧州では西暦1450年頃になって成立
し、西洋チェスだけでなくクーリエチェスの
大臣も、女王に改善された。それにより、やっ
とこさ、鎌倉時代の日本人なら相手にする
ゲームのレベルに、200年以上送れて到達
したという状況では無かったのか。
 つまり、人間性の欠落した宗教が絶対的に
支配した中世の暗黒時代ならではの、ゲーム
が旨くいかない事に対する、知性、洞察力の
低下や、改善策のへの思索に対する能力の、
知力障害が、社会的に中世の欧州社会に存在
したのではないか。つまり、以上のように、
私には疑われたのである。(2020/03/30)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー