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クーリエチェス少し後のイスラム圏グランドアセドレフ比較(長さん)

以前述べたように、12世紀~15世紀中キリスト圏
成立のチェス、クーリエチェスは、科学の暗黒時代の
ものであって、出来の悪いものであった。しかし、
キリスト教がイスラム諸国から領土奪還したスペイン
では、スペイン王のアルフォンソ10世が、一見する
と駒数多数チェスであるという点で、クーリエチェス
と大差ない外観のグランドアセドレフを紹介していた。
今回は、より文明の発達したイスラム圏の方が、中世
12世紀~15世紀中キリスト圏のゲームよりも、優
れている点を確認する事を目的とし、

グランド・アセドレフを指した結果を紹介しコメント
する。

ここで以前にも述べたが、グランド・アセドレフは、
中世スペインのキリスト圏王のアルフォンソ10世著
作のエルサビオの遊戯書にあるもので、13世紀の頃
に存在したとされる、大将棋状のチェスである。
イスラム圏の文化を継承しており、水準は高い。
 以下が、同じく岡野伸氏の自費出版著書
”世界の主な将棋”(1999)で紹介されている、
スペインのチェス型ゲーム、グランド・アセドレフの
ルールである。以下は3年程度前に、同様の文面を、
本ブログで、記載しているものの、再度掲載である。
 このゲームは、次のようなルールになっている。
初期配列は、チェス同様、先手の白が王が中央の右、
後手の黒の王が、中央の左となり、白から黒を見わ
たす向きで、次のように、初期配列される。
一段目:城、ライオン、ユニコーン、キリン、ワニ、グリフォン、
王、ワニ、キリン、ユニコーン、ライオン、城
二段目と三段目は全部、空き升目で、
四段目に兵を合計12枚、配列する。
駒の動かし方のルールは、以下の通り。
王:玉将の動き。ただし初手だけ、大局将棋の玉将
や白象の動きができる。(初期配列からは縦、横、
斜め8方向、2升目まで走りという事である。)
グリフォン:斜め1升目と、そこから縦横に動く。
前の地点と、1筋ズレて走ると言うことである。
ワニ:角行の動き。
キリン:縦横3升目まで走りに加えて、3升目の地
点から、斜めで、遠ざかる2隣接升目へ1升目歩む。
ユニコーン:初期配列位置からは八方桂馬。ただし、
そのとき相手の駒を取れない。別の升目に移動した
のちには、角行と同じ動きに変わる。
ライオン:縦横3升目まで走る。
城:飛車の動き。
兵:チェスのポーンと同だが最初だけ2升目という
ルール無し。
兵だけ成り、そのとき居る列筋の自陣最下段の駒と
同じ駒に成る。(インドチャトランガタイプ)ただ
し、王の段に居る兵はグリフォンに成る。(この点
でも、チャトランガに似ている。)
裸王は負けだが、スティイルメイトもあり、自分の
別の駒と、王との位置を交換する手を特別に指して、
回避できるという、特殊ルールがある。
 なお、世界の主な将棋の文面と上記を読み返すと、
以下の点に違いがあるようである。
キリンは、上記のルールでは、1~3升目先迄走り
で止まれるが、岡野氏の紹介では、そこから斜めに
動かないと止まれない。跳び越え駒のような、塞麒
麟首(?)のある特定升目行きのような、よく判ら
ないルールが書かれている。
ライオンは、隣接升目や2升目先には、止まれない
ように、岡野氏は指摘している。
ここでは、以前の本ブログ方式を採用する事にした。
本ブログの以前の論と矛盾するが、スペイン人は、
中国チャンチー流の馬ルールを、塞馬脚付き八方桂
ではなくて、縦横歩みと斜め歩みの混合と、読み替
えている疑いがあると思われたので本ブログのまま
にした。またライオンについては、跳び駒と見てい
るとは、考えにくい。以上による。
 なお、前にクーリエチェスのときしたように、こ
れらの駒名は、動きの良く似た、日本の将棋名に変
えた。ただし、以下の初期局面の注釈にあるように、
八方桂は1手で角成り。白象王は1手で玉将へ変化。
”割箸走”は猫叉動の後飛車の動きの事とする。
 初期配列は、以下の図のようになる。

グランドアセドレフ初期.gif

 たぶんこのゲームの第1~2手は、以下のように
指すのではあるまいか。

グランドアセドレフ1.gif

ここから、指し進めると、一例として、以下のよう
に先手の勝ちで終わった。

グランドアセドレフ指終.gif

侍従の小駒が事実上無く、王位外は全部大駒なので、

幾分オフェンスが今度は強すぎだがクーリエチェス
のように、少なくとも攻め駒足らずにはならない。

結果的には、大臣を猫叉動から、猫叉+飛車の、図
中で”割箸走”に変えたのは、奔王動きの女王駒を
作ったのとだいたい同じであった。つまり、イスラ
ム教徒は13世紀には、大臣を、極弱駒からウルト
ラ強駒に変えれば、問題が解決する事に気がついて
いた。つまり暗黒時代の欧州中部のキリスト教徒と
は異なり、モンゴル帝国伸長の時代より少し後には、

イスラム圏では問題を、知性の力で解決できていた

という事になると、当然見なせる。(2020/03/31)

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