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中世インドに盤双六史料は多く存在(長さん)

以前本ブログでは、増川宏一氏1995年の、
ものと人間の文化史79-Ⅰ”すごろくⅠ”、
法政大学出版局を参照して、
”盤双六の存在は初期象棋をブロックしない”の
ところで”インドでは、盤双六が余り、流行らな
かったようである。”との旨述べた。だが、
西暦2007以降、そのようには

考えられていない

ことを知った。清水康二氏明治大学学位請求論文
”東アジア盤上遊戯史研究(2016)”の
194ページに、soar氏の西暦2007年の
インドのレリーフ研究が紹介されており、それに
より、インドに中世、盤双六がないとの認識が、
否定されたとの旨が載っている。さらに同文献に
は具体的に、197ページに、史料と成立年が載っ
ている。
 それによると、以下のようになっている。
盤双六を描いた、絵画史料として以下の物が有る。
アジャンタ石窟(西暦460-480年)
ソンドニー寺院(西暦530-540年)
シルプール(西暦650年)
ボロブドゥールの遊戯盤(8世紀末頃)
このうち清水氏によるとボロブドゥールの遊戯盤
が、ほぼ盤双六系遊戯盤とみて間違いないそうだ。

本ブログの先の記載内容は前世紀の間違った認識

だったようだ。
 なお、清水氏は、冒頭で紹介した論文で、中国
への盤双六の伝来経路について考察しており、
増川宏一氏による、→インド→東南アジア→日本
ルートを否定しているようである。そして清水氏
は、シルクロードによる、→西域→中国→
朝鮮半島→日本を、支持しているようである。
 中国では、古文書から盤双六は自国発生の論も
強いが。大阪電気通信大学総合情報学部デジタル
ゲーム学科の木子香氏の、西暦2019の論文の、
web上のPDFファイル
”中国における盤双六研究の現状について”、
によれば、インドよりの伝来論とイスラム世界か
らの伝来論が、外部起源論の中で拮抗状態との事
である。

インドでも盤双六は行われていたので、インド→
中国ルートを、否定する根拠も特に無い

という事なのであろう。盤双六の伝来経路は、
起点がヨーロッパのタブラだとしても、謎に包ま
れて、そのままのようである。(2020/04/09)

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